1. 4.『牧師の求婚』における誘惑モチーフ――ハリエット・ビーチャー・ストウの感傷小説批判

4.『牧師の求婚』における誘惑モチーフ――ハリエット・ビーチャー・ストウの感傷小説批判

若林麻希子 青山学院大学


本発表の目的は、Harriet Beecher StoweのMinister’s Wooing(1859)における誘惑のモチーフに着目することによって、アメリカ女性文学における誘惑小説の伝統について考察を加えることにある。19世紀以降のアメリカにおける女性文学の伝統は、女性の性的堕落を題材に女性の無力なあり方を強調的に描く18世紀的な誘惑小説の伝統を克服することの上に成り立っているというのがNina BaymによるWoman’s Fiction以来の通説である。しかし、Minister’s Wooingにおけるストウの誘惑モチーフの援用には、このような誘惑小説と感傷小説の関係性についての既存の理解を見直す契機が潜んでいるように見える。

すでにUncle Tom’s CabinやDred によって奴隷制廃止論作家として成功を収めていたストウにとって、Minister’s Wooing は、自ら積極的に「恋愛物語(“love-story”)」と称する新たなジャンルへの挑戦でもあった。“Pre-Railroad Times”と呼ばれるアメリカ独立戦争直後のニューイングランドを舞台にして、ヒロインMary Scudderが幸福な結婚に行き着くまでの道のりを辿るストウの「恋愛物語」は、一見したところ、感傷小説の形式を踏襲しているようにみえる。しかし、Mary Scudderの物語が、誘惑小説を髣髴とさせるVirginie de Frontignacの不義の物語と交差する時、Minister’s Wooing は結婚という制度的枠組みに回収することが出来ない女性の感情経験を問題化することによって、結婚が必ずしも女性の自己実現の場とはならないことを暴露する「恋愛物語」へと変貌する。19世紀女性文学の伝統が、幸福な結婚に帰結する女性性の問題に取り組む感傷小説を生み出すことによって誘惑小説を克服することから始まったのであれば、ストウは、誘惑小説の中に、感傷小説の世界観を乗り越え、女性経験の新たな地平を開く可能性を見出すのだ。誘惑小説の復権を意図するかのように展開するストウの感傷小説に対する静かな抵抗に立ち会うことによって、本発表では、誘惑小説の19世紀アメリカにおける文化的、文学史的意義を問い直してみたいと思う。