1. シンポジアムU(東京支部発題)(2号館2階 U-203教室)

シンポジアムU(東京支部発題)(2号館2階 U-203教室)

How Was It Black? ――モダニズム再考

司会
立教大学 後藤 和彦
講師
東京女子大学名誉教授 佐藤 宏子
Willa Catherにおける「黒」の問題―仮面と越境
名古屋大学 長畑 明利
How White Was It?――ハイ・モダニズムと黒人詩人
獨協大学 上野 直子
帰属と黒さ――ハーレムの東から / へ
立教大学 新田 啓子
黒いモダニズムと政治からの出口



文芸思潮と限っても、モダニズムがすこしも単純な運動でないことは、いまさら私ごときが言いたてる必要もなにもないことだが、それにしても「複雑さ」とはモダニズムのいわばミドルネームのごときもので、この運動を誰が論ずるのだとしても決して欠かすことのできない鍵語は、<構造>であろう。

世界は地図のようでも、絵画のようでもなく、ひとつの<構造>をなしている――とは、近代が19世紀末から20世紀初頭においてたどり着いた深刻な発見であった。遠近法的に整然と秩序だって見える、いわば「見せかけ」の世界の深層にあるカオスの存在は、「見せかけ」の世界とは不即不離の関係にあって、同時にこの秩序を底知れない手なずけがたいエネルギーによって脅かしている。フロイトにおいては自我に対するリビドーの力、マルクスにおいては支配階級の文化に対する疎外されたプロレタリアート、ニーチェにおいては道徳に対する力への意思、ショーペンハウアにおいては表象の世界に対する意志の世界、ハクスリーにおいては倫理的価値に対する進化の力、そしてソシュールにあっては言語におけるに対するに―― いずれもモダニズムという展開の足場を提供する、不穏な<構造>としての世界の見方だった。

たとえばモダニズム期に文化人類学という学問が生まれたことは示唆的で、<構造>という認識は、自我にとって無意識がそうであるように、それが全体にとっていかに巨大な影響力をもっていようとも、世界の「深層」(背後、地下、ないし周縁)の発見の謂いであり、中心からの再措定のことである。さて、モダニズム期のアメリカ合衆国の文化において、中心から再措定されなければならない諸力としておそらく最初に見出されていったのが、先住民と並んで、黒人たちの存在であったのは、この国特有の歴史からして少しも奇異なことではない。アメリカのモダニズムは「黒さ」を構造上の一基軸とする世界の再定立という側面を間違いなく有していた。今ふたたびこの歴史的経緯を検討してみたい。

一方、アメリカ黒人詩人たちは、世界を震撼させる無言の周縁ないし文化的無意識の闇から、ほかならぬ彼ら自身の声を召喚しようとするこの運動に対し、どのようにふるまってきたのか。プリミティヴであるがゆえに今こそ立ち返らねばならぬと支配的文化によって名指された「方言」(Michael North)の担い手としての彼らは、つまり自身の声を他者の言語の原初の起点として簒奪された彼らは、このとき、本来日常語に対する異言たるべき詩の言語をいかに構築しようとしてきたか、支配的文化から着目されることによって訪れたこの文化的危機に、ひとつの歴史の皮肉に、彼らはどのように対処しようとしていたか――この問題も無論われわれの再考の俎上にのぼる。


(文責 後藤 和彦)



東京女子大学名誉教授 佐藤 宏子


これまでの通説に従えば、Willa Catherは「モダニズム」の対極に位置する作家とみなされる。「1922年かそのあたりで、世界は二つに分裂してしまった」という文学論集Not Under Fortyの序文での彼女の有名な言葉が、その例証として頻繁に用いられてきた。言うまでもなく、1922年は文学におけるモダニズムの代表作、James JoyceのUlyssesとT. S. EliotのThe Waste Land が発表された年である。一方、Cather自身もこの年、第一次大戦に従軍し戦死した中西部の農村出身の青年が主人公の小説One of Ours を発表する。この小説はPulitzer賞を受賞するが、Ernest Hemingway, Edmund Wilsonといった「モダニズム」を代表する若い世代の作家、批評家から戦争の経験のない女性が書いた絵空事として酷評される。そのような状況から、彼女が、二つに割れた世界の前半に属する作家であり、”innovation”とは無縁な“conventional”な作家とされてきた。そのようなCather像に揺さぶりをかけ、モダニズムの作家たちと通底するものを指摘したのがMichael NorthのReading 1922である。

Northはジェンダーを核にしてCatherの新たな側面を提示しようとしているが、彼は“simple, popular, nostalgic”という従来のCather観から完全には抜け出していない。本発表では、これまで考察されることがなかった、Catherとアフリカ系アメリカ人とその文化との接点に注目し、Catherの世界の解明を試みたい。代表作の一つ では、作品の中ほどに、1章をさいて黒人ピアニストのエピソードが描かれているし、幾つかの作品の中では仮面劇でもあるミンストレル・ショウへの言及が巧みに用いられている。そして彼女の最後の作品、Sapphira and the Slave Girl では、生まれ故郷のヴァージニアを舞台に、自分の家族の中で展開された「白」と「黒」との葛藤と融合の歴史を、幼い作者自身に目撃させている。これらの作品を通して、Catherと「他者」としてアメリカ文化の中に存在してきた黒人文化との共鳴、融合の意味を考察してみたい。この越境を視座にすると、一見単純で平明に見える彼女の小説技法、言語、主題の複雑さ、新しさが明らかになってくる。これまで “antimodernism”とまで言われてきたWilla Catherの文学の再検討が、「モダニズム」の再定義につながることを期待したい。


名古屋大学 長畑 明利


20世紀前半の黒人詩人にとってモダニズムとは何だったのか。Houston Baker, Jr. のように、モダニズムという概念をまったく新しく解釈して、Booker T. Washingtonの文学的(言語的)営為を黒人にとってのモダニズムの始まりとする立場もあるだろう。それは、黒人にとってのモダニズムが白人にとってのモダニズムとは異なるとする立場、つまり、モダニズムを地域とエスニシティの条件下に生じる――もしくは、生じうる--とする立場である。しかし、こうした後世の解釈とは裏腹に、20世紀初頭のアメリカに生きた黒人詩人・作家がモダニズム文学についてそうした認識を得ていたか否かについては議論の余地がある。人種・エスニシティにかかわらず、当時の詩人・作家の多くにとって、モダニズム文学はヨーロッパ起源の白人文化に生じた革新として、またとりわけそれがキャノン化した後には、ほかならぬ教養の極致としてあったはずである。文化的後進性の烙印を押されたアメリカの黒人にとって(少なくとも、彼らの一部にとって)、モダニズム文学は人種の差異を超えてある普遍的教養の卓越性の記号であり、アメリカ黒人の「才能ある10%」が――あるいは、人種の違いを越えたアメリカ人としてのアイデンティティを希求した「ニュー・ニグロ」が――追求すべき高い教養の証として存在したとも考えられる。

こうした前提をもとに、この報告では、20世紀前半にEliot、Pound らが主導した、革新的かつ高尚な、いわゆるハイ・モダニズムの詩に対して、同時代の黒人詩人たちがどのような態度を示したかについて再検討を試みる。彼らの中でも特に、Braithwaite、Hughes、Tolsonら、ハイ・モダニズムの詩人と交流した詩人たち、あるいはその作品から強い影響を受けた詩人たちを採りあげて、ハイ・モダニズム文学の実験性や知的洗練、韜晦趣味や規範からの逸脱といった特徴を、彼らがどのように解釈したかについて考察する。こうした特徴を彼らは単に模倣しようとしたのか、あるいは、自身とは無縁のものとしてついには退けたのか、ヨーロッパ文明の歴史の中に起こったモダニズムという芸術運動、とりわけ、その革新性が、文化的・社会的背景を異にするアメリカ黒人にとっていかなる意味を持ち得たのか、黒人詩人たちはエリオットやパウンドらにとっての「モダニズム」とは異なる、独自の「モダニズム」を考えたのか、結局のところ、アメリカの黒人にとって「モダニズム」とは何だったのか――こうした問いについて考察することで、普遍性を志向しつつ黒人性に惹かれたハイ・モダニズム文学を目の当たりにして、アメリカの「ニュー・ニグロ」たちが、自らの文脈において、普遍性と黒人性をいかに捉えたかを浮き彫りにすることができればと思う。


獨協大学 上野 直子


「わたしにとってアメリカは、一度としてアメリカではなかった」というLangston Hughesの嘆きと疑問のリフレイン。Roosevelt大統領の「民主主義の兵器庫」(The Arsenal of Democracy)という表現を「バカあほらしの民主主義」(Ass and All of Democracy)と読みかえた、Zora Neale Hurstonの皮肉。そして、あまりにも有名なDu Boisの「二重の意識」。「この二重の意識、たえず自己を他の人々の目でみるという感覚、……いつも自己の二重性を感じている」しかし、この分裂の感覚に対して、Hurstonは、「私は、アメリカ市民であり、黒人でもあることが、相容れないとは感じていない」と述べた。

いわゆるモダニズム期の合衆国で、「新しいニグロ」と呼ばれた表現者たちが、「帰属」と「アイデンティティー」の問題に、言葉を織る行為を通じてどう向き合ったのか。その営為に、「黒人」であることや、「アフリカ」的なるもの(中継点としてのカリブ地域をふくめて)が、どのように関係したのか。また、彼ら・彼女らの表現は、「人種」をめぐる、どのような文化=政治の磁場のなかに置かれていたのか。具体的には、Mckay、Toomer、Hurstonらのテキストを中心にマッピングを試みてみたい。

マッピングの両端には、アフリカン・ディアスポラのアイデンティティーについての対照的な捉え方をおいてみよう。一方は同時代のイデオローグ、ジャマイカの「英雄」、Marcus Garveyの本質論である。Garveyは、黒人のプライドと経済的独立を説き、全世界の黒人のアフリカ帰還による黒人国家建設を最終目的とした。1914年にキングストンで創設されたGarveyの「全黒人地位改善協会」は、1917年にハーレムに本部を移動した後、世界最大の黒人組織へと発展するのだが、彼にとっては、合衆国で二重意識の統合をはかることなど、実は問題ではなかったろう。Garveyの考えでは、「黒人」=「アフリカ人」であり、合衆国は本質的には黒人が帰属すべき場所ではないからだ。

もう一方は、ジャマイカに生まれ、英国で仕事をしてきた、現代の社会学者、Stuart Hallが提唱する非本質的なアイデンティティーのあり方だ。ブラック・ディアスポラを「新しい世界のノマドの原型」と見る彼は、非本質的なものとして捉えた文化を、アイデンティティーの動的な基盤とする。「過去の様々な物語によって、それらの物語のなかに、私たちが位置づけられる様、また自らも自らを、それらの物語のなかに位置づけていく、いろいろに異なるやり方、それらをわたしたちはアイデンティティーと呼ぶのである」、とHallはいう。この捉え方では、「アフリカ」にしろ、「人種」にしろ、歴史と社会のなかで変化しながら、個人を織り上げ、また個人によって読みかえられていく、多くの物語のなかのひとつ、暫定的なカテゴリーのひとつとなる。こう考えると、それは理論的には、「モダン」なアイデンティテイーの普遍的なかたちとさえ見えてくるのだが、さて、現実のテキストは、これらの両極の間をどのように動いているのだろうか。


立教大学 新田 啓子


芸術表現における「人種」が政治的な問題だと、他者を利用し、領有する政治の問題だという認識が定着してすでに久しい。だから本発表では、俗にいう「政治」と多層的に接触し、その言葉を、われわれが(漠然と)想定する「政治」とは全く違った曖昧な、多義的な、矛盾した、無限定なものにまで裁断してしまったのが、モダニズムの「黒」の一つの正体であったことを、つまびらかにしてみたい。

モダニズム芸術が黒人の「方言」で新奇な表現を開拓し、黒人がモダン社会を生きる芸術家として名乗りを上げた時、その背景には、「政治」と「芸術」の一貫しない局面が入り組んでいた。「人種」とは第一に、創作の意匠であれ、作品のモティーフであれ、社会あるいは歴史の流れに葛藤を感じる作家自身が、自己をまなざす遠近法であった。この遠近法を使い、そもそも自己とは無縁であった者たちと親密に交わることは、見慣れた社会の外を展望する芸術的動機を持っていた。既存の芸術モティーフに限界を感じ、自己の意味を渇望する作家たちはつまり、他者を求める前衛姿勢を強めたのである。

だが一方、1910年代には、アメリカはおろか世界の都市で、黒人はもはや他者ではなかった。黒人の存在はむしろ、大衆化・通俗化に拍車をかける近代社会ならではの風景と捉えられ、そう捉えられた時、黒人表象に依存した作品は、逆に日常に馴致した、通俗なものとしか解されなかった。また、折しも隆盛の途上にあった左翼政治は、すでに黒人を、自由と解放の政治的モティーフとしてプロパガンダ化していた。モダニズムに参入した黒人作家の描く黒人像は、どちらかと言えばこちらの流れと合流し、他人種が勝手に描いたステレオタイプ的黒人像からの解放を目指していたのである。

このように大衆性と前衛性、政治性と政治的無関心など、正反対なものが縫合された構図は、いわばモダニズムの本質である。したがって我々は、むしろ一般化不可能な人種表象の発露ではなく、なぜ黒人が芸術表現の切り札として選ばれたのかという根拠の方を、固有に見ていくべきなのだろう。発表ではまず、上に概略した構図を確認するために、アメリカのモダニズムに芸術の新しい方向性を見いだそうとした日本の新興芸術派の言説を見てみたい。すでに「黒人」をモダンな現象と認識したうえで著作を行っていた彼らの言説は、アメリカ作家の「人種的無意識」というブラックボックスに立ち入らずに、人種・芸術・政治の位置関係を確かめる格好の資料である。

だが一方で、何故に黒人はモダンなのか。モダニズムの黒人表象を「政治的」と弾劾するものたちにとって、モダン芸術は、黒人を野蛮に、未開に描くことが許せないとされていたはずである。したがって次には、なぜ黒人がモダン芸術のモティーフとして選ばれたのかを考察したい。特に黒人モダニストの中には、芸術表現は政治への手段と捉えた世代もいたが、黒人と芸術との関係がより深く考察された30年代には、むしろ黒人=政治という通念を変えようとする考えが際立った。ここでは特に、Zora Neale Hurstonの黒人芸術論を中心に、人種・過去・近代の位相を考察してみたいと思う。