1. 第1室(1号館4階 I-401教室)

第1室(1号館4階 I-401教室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
大西 直樹

1.自然誌から国家史へ――Jeremy Belknap, The Forestersにおける「歴史」の生成

  山口 善成 : 高知女子大学

林 以知郎

2.叡智を手に入れた邂逅――Washington IrvingとWalter Scott

  瀧口 美佳 : 立正大学(院)

武田 貴子

3.スレイヴ・ナラティヴにおけるスペクタクルと窃視 ――Harriet Jacobs, Incidents in the Life of a Slave Girl を中心に

  堀  智弘 : 首都大学東京(非常勤)

4.『牧師の求婚』における誘惑モチーフ――ハリエット・ビーチャー・ストウの感傷小説批判

  若林麻希子 : 青山学院大学



山口 善成 高知女子大学


初期のアメリカ歴史記述を研究する際に興味深いのは、それが「歴史」の性質を考察するうえできわめて重要な示唆を与えてくれることである。まず一点目として、Frederick Jackson Turnerを筆頭にこれまで多くの歴史家たちが指摘してきたように、アメリカの歴史は「土地」や地誌的な関心と非常に強い結びつきを持っていることが挙げられる。これはアメリカの発展が主として荒野の探検や領土獲得といった地誌的な活動によって果たされたことによる影響が大きく、とりわけ18世紀末から19世紀初頭に出版された歴史書においては、歴史と地誌は互いに不可分であるばかりか、あたかも交換可能でさえあるかのような扱い方をされている。Jeremy BelknapのThe History of New Hampshire, 3 vols.(1784-92)では、最初の二巻で植民当初から独立までのニューハンプシャーおよび近隣地域(特にマサチューセッツとの関係)を時系列順にたどり、本来であればここで終わっていいようなものの、Belknapはわざわざ“Containing a Geographical Description of the State; with Sketches of Its Natural History, Productions, Improvements, and Present State of Society and Manners, Laws and Government”を副題とする第三巻を用意し、ニューハンプシャーの地形、動植物の特徴や分布などの自然誌情報をこと細かに記述するのである。果たしてどのようなメンタリティーが彼にこのような第三巻を書かせたのだろうか。本発表の目的の一つは、Belknapの歴史を分析することで、当時の歴史書に見られる「歴史と地誌の混在」の問題について考察することである。このような地誌との結びつきが「歴史」の性質について何を示唆しているかを明らかにしたい。

もう一点、18世紀末から19世紀初頭は「アメリカ史」の形成期であるとともに、静的な世界観から動的な世界観へと変化する時期でもある。言い方を変えれば、初期のアメリカ史はそれまで自然誌(natural history)の一部だった人間社会がそれ自身の物語(human history)を生成してゆく過渡期の歴史記述であった。前述のThe History of New Hampshireも自然誌的興味と歴史が混在した過渡期の歴史記述の一例として捉えることができるだろう。この問題については特にBelknapの歴史寓話The Foresters(1792)を題材にして、いかにして自然誌から国家の歴史へとシフトしていったかを論じたい。The Forestersはアメリカ史の登場人物をすべて森の住人として描いた物語で、そこにはただ単に自然誌と歴史とが混在しているだけでなく、自然誌が「歴史化」されてゆく過程を見ることができる。

Belknapが1791年にマサチューセッツ歴史協会を設立したとき、彼の目的は方々に散らばった貴重な史料を収集し保存することだった。収集、保存、体系化という自然誌的なプロセスは果たしてその時どれほど歴史家としての彼の意識の中にあっただろうか。Belknapの歴史、ひいては初期のアメリカ歴史記述において自然誌の枠組みが果たした役割について問い直してみたい。


瀧口 美佳 立正大学(院)


Washington IrvingはSamuel MitchellのThe Picture of New York(1807)をパロディー化したA History of New York(1809)で一躍脚光を浴び、アメリカ文壇では作家としての地歩を確立して世評を得ていたが、イギリス文壇においてはまだまだ無名に近い存在であった。Irvingはイギリス逗留中の1817年夏、父祖の国スコットランドに向かうことになる。最大の目的はかねてより敬愛する作家Walter Scottとの面会の機会を得ることであった。

Irvingがイギリスの文学およびその文化の影響を強く受けた作家の一人であることはいろいろな批評家たちによって指摘されているが、中でも特に強い影響を受けた作家としてWalter Scottが挙げられる。この〈文学的巡礼〉とも呼ぶべきスコットランドへの旅はIrvingの独自の文学形成とその後の展開に深く寄与することとなる。The Sketch Book(1819-1820)の中で語り手Geoffrey Crayonが述べる結婚観や日常生活の描写には、Scott邸訪問記“Abottsford”に見られる叙述と強い類似性が認められる。すなわちScottとの邂逅がThe Sketch Book誕生の要因になったと言えよう。

自らの文学的人生をエッセイの執筆で出発したIrvingは、Scott邸訪問後にスケッチ風短編集を数編出版し、さらにはスペイン滞在を経て、歴史・紀行・伝記文学など様々な分野で文学的才能を開花させることとなる。その経緯には詩から歴史小説・伝記文学へといったScottが辿った文学的足跡の影響が多大に表れていると考えられよう。またIrvingはThe Sketch BookやBracebridge Hall(1822)においてイギリスの古き風俗風習を好んで取り上げているが、過ぎ去った時の流れに潜むロマンティズムを標榜するIrvingの文学にとって、広く文学を知り抜いているScottとの邂逅は文学的観点から見ても最も意義深い出来事であったと言えるのではないだろうか。

本発表では、最初にScottとの邂逅の経緯を検証する。そして、二人の語らいを通して、Irving文学の根幹がScottから授かった文学的知見や叡智に支えられていたことを考察し、Scottからの示唆が、どのようにThe Sketch Book の誕生やIrvingのその後の文学的足跡に影響を及ぼしたかなどについて論じてみたい。


堀  智弘 首都大学東京(非常勤)


Olaudah Equiano (1789)あたりを嚆矢としFrederick Douglass (1845, 1855, 1881)においてひとつの到達点に達したスレイヴ・ナラティヴには、奴隷市場において奴隷が白人奴隷所有者の貪欲なまなざしの対象となるスペクタクルが繰り返し描かれてきた。何人かの批評家がすでに指摘しているように、こうした奴隷の身体のスペクタクル化には絶えずアンビヴァレンスがつきまとう。理想的には、元奴隷であるスレイヴ・ナラティヴの語り手自身が意図していたように、それは北部の読者に向けて南部奴隷制の過酷な「真実」を伝えるものとなるだろう。しかしそれは同時に、奴隷の身体を、白人読者の興味本位な享受の対象として差し出す危険を冒すことでもある。いってみれば、市場経済における従属関係を、象徴交換の位相において図らずも反復してしまうのである。

この意味において、奴隷の身体のスペクタクル化という現象は、主流である白人文化といわば周縁的な黒人文化の交渉を再考する際のひとつの重要な焦点となるだろう。Eric Lottのことばを借りれば、このふたつの文化のあいだの関係を特徴付けるのは「愛と窃盗」(love and theft)(およびこの文化的窃盗という事実の否認)である。奴隷制は経済的搾取構造であるのみならず、社会的制度としての奴隷制が廃止されたあとにおいても継続的に文化的搾取構造を機能させるような文化的システムであった。スレイヴ・ナラティヴにおける奴隷の身体のスペクタクル化は、いかに語り手が対抗言説としてスレイヴ・ナラティヴを企図しようとも、それは常により大きな文化的搾取構造の内部にとどまるよりほかないというディレンマを徴候的に示しているといえる。

しかしながら、このことは抵抗が不可能であるということを意味するものではない。仮に奴隷市場においては奴隷の身体が奴隷所有者と読者の一方的な享受の対象となっていたとしても、スレイヴ・ナラティヴは、奴隷が奴隷制といういっけん全的な支配システムの間隙を縫って最終的には奇跡的に自由を獲得するさまを描いてきた。この点において、Harriet JacobsのIncidents in the Life of a Slave Girl (1861)は最も注目に値する証言といえよう。奴隷でありしかも女性であるといういわば二重の社会的ハンディキャップを負ったJacobsは、彼女をしつこく迫害する奴隷主のプランテーションのまさに内側、同じ奴隷である親類の小屋の屋根裏に7年間にわたって潜んだのちに自由を獲得した。この潜伏期間のあいだ、Jacobsはかつて自分を常に監視してきた奴隷主を、屋根裏の覗き穴から逆に監視することで奴隷主の探索を逃れることに成功する。こうしてJacobsは、奴隷の身体のスペクタクル化におけるような一方的な見る/見られるという関係を反転させる。さらに読者に対しても、情報の隠蔽という戦略を積極的に用いることにより、テキスト上に屋根裏的な抵抗の空間を作り出す。本発表では、こうしたJacobsの抵抗を、主にスペクタクル的な空間構成の交渉という点から再検討してみたい。


若林麻希子 青山学院大学


本発表の目的は、Harriet Beecher StoweのMinister’s Wooing(1859)における誘惑のモチーフに着目することによって、アメリカ女性文学における誘惑小説の伝統について考察を加えることにある。19世紀以降のアメリカにおける女性文学の伝統は、女性の性的堕落を題材に女性の無力なあり方を強調的に描く18世紀的な誘惑小説の伝統を克服することの上に成り立っているというのがNina BaymによるWoman’s Fiction以来の通説である。しかし、Minister’s Wooingにおけるストウの誘惑モチーフの援用には、このような誘惑小説と感傷小説の関係性についての既存の理解を見直す契機が潜んでいるように見える。

すでにUncle Tom’s CabinやDred によって奴隷制廃止論作家として成功を収めていたストウにとって、Minister’s Wooing は、自ら積極的に「恋愛物語(“love-story”)」と称する新たなジャンルへの挑戦でもあった。“Pre-Railroad Times”と呼ばれるアメリカ独立戦争直後のニューイングランドを舞台にして、ヒロインMary Scudderが幸福な結婚に行き着くまでの道のりを辿るストウの「恋愛物語」は、一見したところ、感傷小説の形式を踏襲しているようにみえる。しかし、Mary Scudderの物語が、誘惑小説を髣髴とさせるVirginie de Frontignacの不義の物語と交差する時、Minister’s Wooing は結婚という制度的枠組みに回収することが出来ない女性の感情経験を問題化することによって、結婚が必ずしも女性の自己実現の場とはならないことを暴露する「恋愛物語」へと変貌する。19世紀女性文学の伝統が、幸福な結婚に帰結する女性性の問題に取り組む感傷小説を生み出すことによって誘惑小説を克服することから始まったのであれば、ストウは、誘惑小説の中に、感傷小説の世界観を乗り越え、女性経験の新たな地平を開く可能性を見出すのだ。誘惑小説の復権を意図するかのように展開するストウの感傷小説に対する静かな抵抗に立ち会うことによって、本発表では、誘惑小説の19世紀アメリカにおける文化的、文学史的意義を問い直してみたいと思う。