1. 混血の修辞法:チカーノが提示する文学作品の新たな地平

混血の修辞法:チカーノが提示する文学作品の新たな地平

國學院大学(非常勤) 井村 俊義


チカーノは混血であることを重層的に自覚している人びとである。インディオとスペイン人のあいだに生まれたメキシコ人が、米墨戦争によってアメリカ南西部を侵略されたことで「メキシコ系アメリカ人(チカーノ)」は生まれたからである。混血の身体のなかをさらに「アメリカとの国境線が通過した」[彼ら]は、「クレオール性」や「重層的な時空間」を強烈に意識しながら芸術作品を生み出してきた。チカーノ文学の最初期から現在に至るまで重層性を意識せずに書かれた文学はなく、また、映画や壁画、音楽やパフォーマンスなどの多岐にわたる方法でしか表現できない自らの存在様態を主張してきた。

しかし「混血」であるとは、ある種のエセンシャリズムを前提とした概念であることもたしかである。混血を生むそれぞれの単位もまた、じつは混血と考えることができるからだ。チカーノの身体を構成しているスペイン人もさまざまな民族の混血であり、当時のアメリカも「白人」国家と単純化することはできない。たとえば、一般に「白人」とされるオバマ大統領の母親の血には、スコットランド人、アイルランド人、チェロキー人の血が流れていると言われている。しかしまた、私たちはどこかに境界線を引くことなしには「誰かを名指す」ことができないという事実も指摘しなければならない。日系アメリカ人を「日本人」と「アメリカ人」の揺らぎのなかで恣意的な存在としているのは、彼ら自身ではなく私たちの側の定義と認識の問題にあるのだろう。

それらの事実をふまえて、チカーノは、混血を純血の対立概念として捉えるのではなく、混血を常態としながら多様なアイデンティティのあり方に焦点を当てる。チカーノ詩人のアルフレッド・アルテアーガ(Alfred Arteaga)は、英語やスペイン語やナワトル語(アステカ帝国の言語)を同居させてチカーノがインディオの末裔であることを表現するとともに、アステカの思考方法や現代思想、さらには、古今東西の文学作品を取り入れながら、きわめて冒険的かつ原初的な作品を提示した。「原初的」とは、国家原理や国家言語の縦割りのなかで位置づけられていた文学を解放し、誰もがそうであろう「混血の身体」を起点として、国家原理に従属しない多様なアイデンティティや共同性のあり方を意識させる「懐かしさ」ということである。アルテアーガの世界は途方もなく巨大である。その一端でもご紹介することによって、さまざまな立場からの共鳴があることを期待している。