1. “Queer is Pop”: RaceとSexualityの共犯関係とその転倒

“Queer is Pop”: RaceとSexualityの共犯関係とその転倒

椙山女学園大学 長澤 唯史


アメリカの大衆芸術には、人種混交への嫌悪、恐怖、忌避の表象が満ちている。D. W. Griffithは『国民の創世』(1915)や『散り行く花』(1919)で、Cecil B. DeMilleは『チート』(1915)でそれぞれ、アフリカ系アメリカ人やアジア人を、白人女性を性的に脅かす存在として扇情的に描いている。大衆受けのパルプ雑誌の表紙は、エイリアンや異生物に捕われる半裸の白人女性がお約束として飽くことなく登場する。そうした雑誌の一つに掲載されたH. P. Lovecraftの”The Shadow Over Insmouth” (1936)は、interracialismやmiscegenationに対して、大衆が潜在的に持っている恐怖や嫌悪を反映した好例と言えるだろう。そしてこの嫌悪や恐怖が19世紀末の性言説と結び付き、非白人とqueernessを等価視する言説を派生させたことは、Siobhan B. Somerville (2000)に詳しい。

一方で、こうした人種混交への嫌悪や忌避を免れている(ように見える)大衆文化ジャンルがポピュラー(ポップ)・ミュージックである。ジャズやブルースは純粋な黒人音楽ではなく、クレオールや南部黒人が白人音楽と出会った場所から生まれたものであることは、Leroi Jones (1963) やRobert Palmer (1981) が指摘するところである。また一方でこうした”Black Music”の圧倒的な影響力のもと、20世紀以降のアメリカ大衆音楽が発達してきたことも言うまでもない。もちろん音楽界を人種的なユートピアと主張するつもりもさらさらないが、他ジャンルと比べて非白人の存在感がいかに圧倒的であるかは、「マイケル・ジャクソン」という名を一つ挙げておけば事足りるであろう。

さてそれでは、マイケル・ジャクソンやプリンスは、非白人に付与されたqueerなイメージを払拭することでスーパースターになりえたのであろうか。おそらく事実は逆で、大衆音楽がracismを軽々と克服しえた(かのように見える)のだとしたら、それはこのqueernessを肯定的なイメージに転化したからではないのか。プレスリーもビートルズも、デビュー当時はqueerな存在ではなかったか。本発表では、interracialismとqueernessに着目することで、何が見えてくるのかを考察したい。どこに行きつくかは、いまだ発表者にも不明であるが。