1. Between Hot and Cold―世界の終わりとヴォネガット

Between Hot and Cold―世界の終わりとヴォネガット

福島工業高等専門学校 中山 悟視


George Orwellは1945年、エッセイ“You and the Atomic Bomb” において、 “cold war”という言葉を使って、原爆投下後の世界の有り様を憂慮した。原子爆弾による世界の破滅というよりは、「核保有国」による世界の分割統治を予見した。Nineteen Eighty-Four (1949)は、大国による分割統治や紛争地域における平和維持のための永続的な戦争など、原爆以後の世界を強く意識して書かれた。Orwellが表現した隣国との永続的な “cold war” 「冷たい戦争」ということばは、 “hot war”「武力戦」という意味での戦場や前線の不在のメタファーに他ならない。しかし実際には、アメリカ大陸(あるいはソ連邦域内)に戦場・前線がないだけで、「ほかのどこか」では代理戦争は着実に行われていた。その武力戦との距離感による温度差に加えて、「核の冬」によって想起させるある種の「寒さ・冷たさ」が冷戦には付きまとうように思われる。

Kurt Vonnegut (1922-2007) は、長編デビュー作Player Piano (1951)でOrwellの世界を焼き直し、機械による管理社会を描いた。すでに処女短編 “Report on the Barnhouse Effect” (1950) において、超能力によって軍備の拡大と戦う物語を描いていたが、そこでは威嚇のための軍備拡大競争が、軍事施設密告競争と化していく、という冷戦構造が孕む対立と依存の愚かな関係性を描いてみせた。彼の作家キャリアを振り返り、小説で扱ってきた題材に目を向けてみれば、Vonnegutはまさに冷戦作家と呼ぶに相応しい。現代社会に蔓延する様々な脅威(核戦争、全体主義、他者の侵略)に対する警鐘を鳴らしつつ、そこに潜む愚かさを暴露してきた。ドレスデン体験を物語化しようと試みたSlaughterhouse-Five (1969) においても、異星(人)の表象に現代社会の暗部が映し出されていよう。

本発表では、Vonnegut小説を改めて冷戦構造を意識して読み直したい。特にCat's Cradle に描かれる、 “cat’s cradle”「あやとり」と “bokomaru” なるボコノン教の秘儀が暗示する「対立・均衡」と “Ice-nine” が放つ「温度」に注目してみたい。Cat's Cradle において描かれる世界は、氷りついて終末を迎えるが、その最後に至るまでに描かれた世界は、冷戦構造の対立・均衡を保っている。San Lorenzo島、あるいはCat's Cradle において、氷りついて崩壊する前後の世界に目を配ることで、冷戦構造が孕む対立と依存の関係性を明らかにしてみたい。さらにそうした冷戦構造の二重性が、Vonnegut評価とどう関わってきたのか考えてみたい。