1. 1.TomとLauraの〈やさしい関係〉――The Glass Menagerie 再読

1.TomとLauraの〈やさしい関係〉――The Glass Menagerie 再読

山下 興作 高知大学


アメリカにしろ、日本にしろ、多くの人にとってThe Glass Menagerie は愛すべき作品に違いない。

1930年代のアメリカの都市セントルイスというごく限られた時空間を背景として、1944年に生まれたこの劇が、いつの時代、どこの場所に生きる者にも通じる普遍性を持っているのはなぜだろうか。また、今日の日本で舞台に掛けるとすれば、どのような点に注目すればよいだろうか。今回の発表はこうした素朴な疑問を出発点としている。

Tennessee Williamsに限らず、1930年代を背景にしたアメリカの劇は、そのほとんどが大恐慌による苦悩と不正を描いている。だが、The Glass Menagerie は、そういった社会的、経済的なテーマを前面に押し出すことからは無縁である。Williamsの視線の先にあるのは、ひたすら、脆く傷つきやすい人間の姿である。求めるものが得られず、望みがかなわなかった挫折感を味わう。こういったことは、程度の差こそあれ、誰の身にも覚えのある体験であろう。家族の一員としての義務感、自由への渇望、そこに端を発した家族との軋轢、成長の苦しみ、そのために切り捨てなければならなかったもの、そしてその先にある言いようのない孤独……。語り手Tomをはじめ、The Glass Menagerieに登場する人々のすべての中で描かれるこういった苦悩や体験が、この劇を見る者全てに深い共感を呼ぶ。この作品が持つ普遍性の理由の一端はそのあたりにありそうだ。

実際、今日の日本にもTomやLauraの末裔たちが満ち満ちている。土井隆義の『友だち地獄』によれば、今日の若者たちは、誰からも傷つけ得られたくないし、傷つけたくもない。そういう繊細な<やさしさ>の持ち主であるがゆえに、生きづらさにあえいでいるという。周囲から浮いてしまわないよう神経を張りつめ、その場の空気を読む。誰にも相手にされなくなることにおびえながら、ケータイ・メールでお互いのつながりを確かめ合う。言い換えるなら、孤独を恐れながらも、濃密な人間関係から撤退してしまうことで、自分の身を守ろうとしている若者たち。

そこで、この発表ではThe Glass Menagerie におけるTomとLauraを中心に、お互いや家族、友人との距離の取り方、また父親の不在の意味を、この<やさしさ>をはじめ、今日の若者を取り巻く環境の視点から再検討し、そのうえで、それを生き延びたTomと取り残されたLauraの分岐点はどこにあったのかを、考えなおしてみたい。

そうすることで、一見すると、保守的で、衝撃力に欠けるにも関わらず、繰り返し再演を重ねているこの劇の魅力を捉えなおすとともに、今日の日本で舞台にかけることの意義について議論する題材を提供できればと考えている。