1. 1.娘として母として――ケネディ劇における家族

1.娘として母として――ケネディ劇における家族

伊藤ゆかり 山梨県立大学


Adrienne Kennedyの戯曲に顕著な特徴としてしばしば挙げられるのは、登場人物のアイデンティティの不確かさである。第1作のFunnyhouse of a Negro において、主人公Sarahは、彼女自身およびQueen Victoria Regina、Duchess of Hapsburg、Jesus、Patrice Lumumbaという5人の存在によって表される。第2作のThe Owl Answers でも同様に、主人公であるClara Passmoreは、the Virgin Maryであり、the Bastardであり、the Owlでもある。この設定によって、アイデンティティがいかに流動的で不安定であるかが、舞台上に表象されるのである。中期以降Kennedyは、黒人劇作家Suzanne Alexanderを主人公としたthe Alexander Playsと呼ばれる一連の作品を書いている。主人公は作家としてのアイデンティティを確立しているように見えるのだが、やはりアイデンティティは揺らぐ。たとえば、The Ohio State Murders は、著名な作家となって母校を訪れるSuzanneによる回想が中心となる劇である。回想における彼女は、希望どおりの専攻を選ぶことができないまま、大学をやめざるを得ない。学生というアイデンティティを失うのだ。Kennedyの戯曲は、確固とした自己を持つことの困難を描き続けていると言えよう。

ところが、これほどまでにアイデンティティの不確かさを描く一方で、Kennedyは家族におけるアイデンティティのみ揺らがないものであるかのように描き出す。前述のFunnyhouse of a Negro とThe Owl Answersは、どちらも、娘であることの苦悩が劇の出発点である。The Owl Answers のClaraは、誰の娘であるか曖昧であり、その意味では確かなアイデンティティはないものの、望まれない娘であることは間違いない。両作品の主人公は、娘としてのアイデンティティに苦しみつつ、そこから逃れられないのだ。さらに劇作家を主人公とした作品群においては、母としてのアイデンティティが大きな意味を持つ。

このような重要性をふまえ、本発表は、Kennedyの劇における家族について、主人公である作家が娘として、または母としていかに家族を描くかに着目して考えることとする。中心的に論じる作品は、1976年に初演されたA Movie Star Has to Star in Black and White と、‘the Alexander Plays’の一編で1996年初演のSleep Deprivation Chamber である。前者は、幼い子どもを抱えての離婚を考えつつ両親との関係にも悩む新進劇作家Claraを主人公とし、娘と母双方の立場が示される、初期作品と‘the Alexander Plays’をつなぐ作品といえよう。後者は、息子の不当逮捕をめぐる母Suzanneの苦闘を描く劇であり、Robert Vorlickyは、家族劇の伝統の核心に近づいた作品と評している。また、どちらの作品に関しても、作家が書くという行為そのものを観客は意識せざるを得ない。これらの作品を分析することで、Kennedyの重要なモティーフである家族と書くことについて、あらたな見方を提示したい。