1. 2.現代を映す鏡としての古典ギリシア悲劇――その変容と更新

2.現代を映す鏡としての古典ギリシア悲劇――その変容と更新

堀 真理子 青山学院大学


「原作はその死後の生のなかで変化してゆく・・・・・・生きたものが死後の生の なかで変容し更新してゆくのでなければ、死後の生という呼び名は意味をな さなくなる」(ベンヤミン「翻訳者の課題」より)

古今東西、じつに多くの古典ギリシア悲劇が翻訳され、翻案され、脚色されてきたが、近年アメリカ、イギリス、アイルランドの演劇界において増産傾向にある。さらに今世紀に入ってから、Marianne McDonald, The Living Art of Greek Tragedy (2003), Kevin J. Wetmore, Jr., .The Athenian Sun in an African Sky: Modern African Adaptations of Classical Greek Tragedy (2002), Kevin J. Wetmore, Jr., Black Dionysus: Greek Tragedy and African American Theatre (2003), Simon Goldhill, How to Stage Greek Tragedy Today (2007)など、ギリシア悲劇を専門とする研究者らによる、翻案舞台の多義性や翻案の在りかたを論じる研究書が続々と出版されている。McDonald、そしてWetmoreが言うように、「過去の題材を用いて現在の問題について語る」のはギリシア悲劇作者がやっていたことであり、今日の劇作家もそれに倣っていると言える。つまり古典の翻訳や翻案は演劇の伝統として根づいている行為なのである。

しかし、古典とはおよそ無縁の世界に生きているはずの多くの今日の劇作家がなぜギリシア悲劇に魅せられるのだろうか。これらの翻訳・翻案作品では、アリストテレスが定義したような「社会的生物」として、社会とつねに深く関わりながら生きている人間の姿が描かれる。そもそもギリシア市民と奴隷・異邦人、国家と個人、親と子ども、男性と女性、人間と神々といった対立から生まれる古典悲劇は、個々人の内面心理に光を当てるというよりは、戦争や犯罪、人種差別や貧困、精神障害や家庭崩壊といった現代社会にもはびこっているさまざまな暴力を照らし出している。

アメリカにおいてギリシア悲劇を現代的に読み替え、脱構築する作業を積極的に行なった劇作家と言えばCharles L. Meeの名前を挙げることができる。Meeは「われわれは歴史と文化の産物」であると言い、その独特の反リアリスティックな描写で現代の「歴史劇」を書いた。彼は、神が絶対的なものであり、確固たる社会倫理があった時代の産物である古典の舞台を、時空を越えてアメリカの現代消費社会に置き換えることによって、古典に確立された価値観を転覆し、今の時代に絶対的なものや倫理とは何なのかを問いかけている。

世界にはさまざまな暴力、争いごとがある。実際の戦争はもちろんのこと、家族・夫婦間の衝突、非行少年同士の争いごと、企業間戦争、民族闘争、階級間闘争など・・・・・・それらを個々の芝居をとおしてどう伝えていくかはそれぞれの劇作家の倫理観に委ねられている。アメリカのような文化的、社会的、政治的背景の異なる人びとがぶつかり合う社会にあっては、古典が導き出す普遍的な問題が文化的特殊性をもったかたちで描かれることも多い。日本人とアメリカ人との軋轢をテーマにしたVelina Hasu HoustonのThe House of Chaos、チカーナ・レズビアンのアイデンティティを模索する MoragaのThe Hungry Women: A Mexican Medea、経済的にも性的にも搾取される黒人女性を描いたSuzan-Lori ParksのIn the Blood はいずれもエウリピデスの『メーデイア』を翻案していながら、文化的背景の異なるそれぞれの作家の違いが作品によく表れている。しかし、いずれの作品も、古典の時空を離れることによって、古典が照らし出す父権制を転覆し、有色人女性の目から古典に潜む、女性=「人間」の尊厳をすくいあげている。

本発表では、とくに近年アメリカで上演されたギリシア悲劇の翻訳・翻案作品をとおして、その今日的な変容の有様と更新する意義について考えてみたい。