1. 2.Hart Crane、Passagesをうたう詩人

2.Hart Crane、Passagesをうたう詩人

来馬 哲平 早稲田大学(院)


A Metapoetics of the Passage (1981) においてMary Ann Cawsは、Bretonを筆頭とするシュールレアリスト達の詩に見られる「橋」、「回廊」、「扉」といった「境界」の隠喩が担う役割について論じる際、それらを「相反するものの一致」という馴染みの主題の言語的表れへと還元させていくことで、テクストの内容・形式の相互浸透を見ていく新批評的な方法を継承しながらも、批評の目をそこから更に拡げ且つ深化させていった。Cawsは、歴史から隔絶され自足した静的な対象としてテクストを捉えるのではなく、生きている読者が、読むという行為によってテクスト内を通過することで、テクストと読者が互いに絶えず変容していくための、流動性を帯びた通過 (passage) の場として捉える。従って、最早「境界」の隠喩は、テクストの枠内においてのみ機能する抽象的な言葉の綾に留まらない。それら各々の隠喩は、テクストの内と外を融通させる有機的な「敷居」としてのテクスト性を補強するための、具体性を帯びた入口であり且つ出口である。又、それらの隠喩は、テクストを通過する読者の内部に生起する恣意的・創造的な意味構築の過程や、その作業に伴って連想的に想起される他作品との融通といったインターテクスチュアルな架橋行為とも融通し合う。

「境界」のダイナミズムを滋養にして、異質な諸概念間の架橋行為に精を出す詩人像は、20世紀初頭のフランス詩人達のみに当てはまるわけでは無論ない。たとえば17世紀イギリスの 「形而上派詩人」と称される詩人たちがいる。そして、DonneやShakespeareといった稀代の言語職人達の技法に(T. S. Eliotの著作を介して)私淑し、その言語的架橋技術の粋を、モダンテクノロジーの象徴であるブルックリン橋に隠喩化してみせたアメリカの詩人Hart Craneがいる。The Bridge (1930)という、そのものずばりの題を持つ長篇詩の作者であるCraneも又、テクストの内と外を意識的に「架橋」しようとした詩人である。

一つの独立したテクストが、雑多なテクストの集積体である一個人に読まれ、通過されるたび、新たに構築しなおされ、同時に当の読者の感受性や認識もまた、微細に或いは大きく書き換えられていくという、テクストと読者の相互変容を意識して書かれた詩、あるいはその変容過程がドラマタイズされたものとして読めるタイプの詩がある。Cawsは、そのような詩を、平面的な設計図 (image)を立体的な建造物 (construction)として現実に顕現させる技術であるarchitectureになぞらえて、architextureと呼ぶ。そしてCawsも指摘するように、詩人と読者の、又、詩人とテクスト化された自己との相互関係(融通・齟齬)を再演したものとして読めるメタ詩的な、Cawsに倣えば、architexturalな作品を、Craneは少なからず残している。

詩的技法の点からも、「橋」の詩人なる呼称に相応しく、Craneの詩は様々な言語的架橋術の見本市として読める。彼は、異質なものが無碍に混交する「境界」を詩の主題的空間として設定することで、アナロジーの鎖を用いて主題を重層的に変奏させていく技法や、規範文法からの逸脱をも敢えて辞さない曖昧で多義的な言語操作を駆使し、テクストを構成する諸要素の隅々にまで、境域界の性質を帯びさせていく。本発表ではpassageの詩人としてのCrane像を照らし出すために、比較的短く且つメタ詩的な構造を持つ“Passage”、“Repose of Rivers”、 “At Melville’s Tomb” 等に考察の対象を絞り、Cawsの方法論を手掛かりに、Craneを「通過」してみたい。