1. 1.Robert CooverのThe Public Burning における戯画的想像力

1.Robert CooverのThe Public Burning における戯画的想像力

山口 和彦 東京学芸大学


第37代アメリカ大統領Richard Nixonは、歴代大統領の中で最も風刺漫画家たちによって描かれた大統領のひとりであった。例えば、Washington Post のHerblock(Herbert Block)は、目的のためには手段を選ばぬ非道の人間としてのNixon像を、アメリカ人の想像力の中に根付かせていった。多分にマスメディアによって創出された戯画的なNixon像の成り立ちを、Herblockらの政治風刺漫画に辿るのが本発表の出発点である。

現代アメリカ小説を例に取っても、Kurt VonnegutのJailbird (1979)やPhilip RothのOur Gang (1971)などにおいて、Nixonはパロディの対象として描かれている。しかし、Robert Cooverの代表作The Public Burning (1977; 以下PB)ほど、Nixonの戯画性や世界の戯画性を基盤に展開している小説はないだろう。PB のNixonは、メディアによって創出される自己の戯画性を極度に意識しているからこそ、政治的な自己演出を効果的に利用しようとする人物である。そもそも、PBの物語世界はそれ自体戯画的であり、コミック的登場人物が跋扈する世界であるが、単純で深みに欠けるがゆえに大衆の心理に訴えかける自己の戯画性を権力に転用してしまうNixonのキャラクターには、政治風刺漫画のような政治批判のためのメディアが、権力との共犯関係を意図せず切り結んでしまうという逆説が見事に映し出されている。

そこには、メディアによって創られる「現実」を通してでしか自己や世界を認識できない冷戦期のアメリカ人のあり方が重ね合わせられてもいる。もはや媒体のないnatural landscapeを経験できないメディア支配の時代において、 mediascapeのなかで「リアルなもの」を把握し損ね続けるNixonには、この時代のアメリカ人一般の知覚様式が見出されるし、また、読者はその点に共感を覚えるのである。物語の大団円で、Rosenberg夫妻の処刑が行われるTimes Squareに盲目的に集まる大衆がメディアによって操作された存在であるのに対し、Nixonが状況を半ば批判的にみるアウトサイダー(=読者の代理)であることはその証左である。

言ってみれば、PB におけるNixonは自由主義的民主主義と共産主義的全体主義の二項対立に基づく冷戦言説を内面化した人物として描かれる対象であると同時に、冷戦期のアメリカニズムを問題化する主体でもある。しかしながら、戯画的な想像力を専有するかのように「歴史」に対する自己の超越的立場を獲得しようとするNixonは、物語の最期で「歴史」の外側への脱出に失敗し、再び戯画的な揶揄や嘲笑の対象に成り下がる。本発表では、Nixonのキャラクターをめぐり、そのような一回ひねりの冷戦期アメリカニズム批判を生み出すPB の戯画的想像力について検討を加えたい。