1. 3.享楽の図書館Libra ――Don DeLillo作品へのメディア論的アプローチ

3.享楽の図書館Libra ――Don DeLillo作品へのメディア論的アプローチ

矢倉 喬士 大阪大学(院)


Don DeLilloのLibra は1988年に出版され、この20年の間に同作品に関する論文は数多く出されてきた。ポストモダン小説の代表的作品として名高いLibra だけに、Frank Lentricchiaの”Libra as Postmodern Critique”のようにポストモダン的な言説を基にした分析が数多く行われてきた。しかし、文字や映像といったメディアがもたらすリアリティの差異を巧みに書き分けるDeLilloという作家に値する十分なメディア論を含んだ論文はまだ出てはいないように思われる。

例えば、David Cowartはwordとvideoという二つのメディアを分析し、DeLilloがvideo、すなわち映像メディアを描くときによく用いる語を詳細に抽出し、そこにword(文字メディア)とは別種のリアリティが書き込まれていることを示してみせた。しかし彼は文字メディアと映像メディアをはっきりと区別してしまったがために、Libra において読み取られるべき映像メディアの文字メディアへの侵入というテーマを逸してしまったように思える。

具体的に見てみよう。22 Novemberという章にはメディアによる通信の描写が見られるが、そこでDeLilloは文字ともデザインともつかぬ文字群を配列している。コンマもピリオドもない。全てが大文字のアルファベットで構成され、不自然な改行と空白のスペースが設けられている。何やら言い間違えと思しき響きや意図的にスペルミスを織り交ぜた語も書き込まれている。”SSSSSSSSSS”というSの連続などは、文章として意味を成しているとは到底思えない。文字を読むことでストーリーを理解する小説において、読めない文字を配列するのはなぜか。意図的な誤植とも思われる表現を用いることの効果とは。ここでは文字メディアは文字メディアとしての役割を期待されているのだろうか。これらの問いに正面から向き合った論考は未だ為されていない。

本発表ではこの問題に対し、Friedrich A. Kittlerの独創的なメディア論、Grammophon, Film, Typewriter (1985)を理論的枠組みとして援用し、Libra において重要なファクターであるポリグラフ、フィルム、タイプライターの3つのメディアを考察していく。Kittlerがラカン派精神分析のタームを用いて細かく分類したメディア論を引くことで、MaoU(1991)やUnderworld (1997)など他のDeLillo文学にも通じる「読めない文字」、あるいは「象形文字としてのアルファベット」というテーマにメディアの差異の観点からのアプローチが可能となる。

そしてこの問題はDeLilloという作家の作品にとどまるものではない。グラモフォン、(Libra においてはポリグラフ)、フィルム、タイプライターその他様々なメディアのもたらした想像力は、小説という文字メディアの帝国とどのような関係を結ぶのかという一般化された問いへの答えを用意することにもなるだろう。