1. 4.Los Angels Time(s)――現代L.A.文学と分身の時間

4.Los Angels Time(s)――現代L.A.文学と分身の時間

藤井  光 同志社大学


都市に特有の時間性の感覚というものが存在するならば、ロサンゼルスを特徴付ける時間が、“the perpetual present” であることは、D. J. WaldieやDavid Fine、William A. McClung ら、この都市を取り上げる批評家たちの多くに共有されている。過去が常に現在の利害によって作り上げられ、忘却され、従属させられることによって、現在におけるアイデンティティが強化されていくという時間の感覚は、この都市が持つ自己創造の神話を支えるものであり、そのような「L.A.神話」に対しては、これまでも多くの批判的試みがなされてきた。

本発表で注目したいのは、Sesshu FosterやKate Braverman、そしてSteve Ericksonら、ロサンゼルスそのものを探求する現代作家たちのテクストにおいて展開される、時間についての視点である。その創作活動の大半をロサンゼルスの街に関して費やしてきた作家たちは他にも存在するが、この三人の現代作家たちに共通する点は、「現在」の支配を、物語行為における時間性において変形させ、打破しようとする姿勢であり、同時にその試みが「分身」という主題を呼び寄せていることである。

Sesshu FosterのAtomix Aztex (2005)においては、現代のロサンゼルスと、その分身たる仮想世界“Aztex”が、「パラレル・ワールド」として登場している。二つに分裂させられた物語は互いの分身として呼応し、次第にその境界線を失うなかで、ロサンゼルスの「現在」は変容させられていく。

同じく、パラレル・ワールドという手法をしばしば用いる作家、Steve Ericksonは、2005年に発表したOur Ecstatic Days において、西ロサンゼルスの大部分が湖の出現によって水没した21世紀を描いている。時間軸が揺れ動き、交錯するエリクソンの作風は、テクスト上の仕掛けにおいても実践されているが、同時に、親と子をめぐるドラマが複数の登場人物によって変奏され、互いが互いの分身であるような時間を表現している。

Frantic Transmissions to and from Los Angeles (2006)を始めとするKate Bravermanのテクストにおいて、物語行為における時間の問題は、異なるテクスト間における実践となっている。Bravermanのほぼ一貫した主題は、ロサンゼルスの街における女性のアイデンティティの揺らぎであり、それは「現在」における充足から離脱するような時間性の経験として語られる。この主題はさらに、複数の小説において変奏され、そのなかで各登場人物は分身を追加され、そのアイデンティティは固定されることなく変容していく。

これらの物語の実践において、「現在」はもはや特権的な位置を占めるものではなく、Fosterにおいては一種の戦場として、Ericksonにおいては歴史を越えて発動する力学の一断面として、またBravermanにおいては絶えず歴史的な時間軸からの離脱を伴う変化を含むものとしてとらえ直され、それぞれのテクストの特性を構成している。

物語と時間という主題、都市と文学という問題、さらには分身のナラティヴの系譜など、議論すべき点は多岐にわたるものであるが、そうした文脈における研究にも触れつつ、現代ロサンゼルス文学の一端を検証したい。