1. 1.Frederick Douglassの晩年におけるマスキュリニティ言説――Toussaint L’Ouvertureの表象をめぐって

1.Frederick Douglassの晩年におけるマスキュリニティ言説――Toussaint L’Ouvertureの表象をめぐって

朴  c英 大谷大学


Frederick Douglass(1818-95)は奴隷制廃止運動の活動家としての最初期から、当時否定されていた黒人男性のマスキュリニティを強調することが、黒人の解放と社会的地位向上において有効であると考えていた。このことはDouglassの最初の自伝The Narrative of the Life of Frederick Douglass, an American Slave, Written by Himself (1845)および中編小説“The Heroic Slave”(1853)などを論じた既往の研究からも明らかである。しかし南北戦争終結後、Douglassはマスキュリニティ言説をもはや戦略的には用いなかったとする見方が一般的である。本発表ではそのような説を批判的に検討し、彼の晩年の演説や彼が著したサント・ドミンゴ(現ハイチ)の独立指導者Toussaint L’Ouverture(c. 1743-1803)に関する未公刊の草稿、死後に黒人雑誌に掲載された論考を中心に、従来あまり考察されてこなかったDouglass晩年のマスキュリニティ言説とその意図を考察する。

DouglassのToussaintに関する原稿は、フランスの上院議員Victor Schoelcherによる伝記Vie de Toussaint L’Ouverture (1889)の英語版のための序文として書かれたものである。(英語版は公刊されなかったが、この序文は1890年から91年の間に書かれたものと推測され、部分的に刊行された。)この際Douglassが採ったレトリックを含めた文学的手法が非常に興味深い。Douglassの最初の自伝Narrative には、逃亡奴隷自らがこの書物を書きその内容に偽りはないといった、元奴隷による記述のauthenticityを証明する白人による「前書き」や「手紙」が収録されていた。このような手法はslave narrativesを刊行する際に白人アボリッショニストにより習慣化されていた。DouglassはToussaintに関する序文において、レトリックや形式も含め敢えて同じ手法を用いている。すなわち、黒人であるDouglassが白人のSchoelcherによるToussaintの表象のauthenticityを認めているのである。白人が書いたものに黒人が権威付けを行うという、Douglassが最初の自伝を書いた際には想像もつかなかったことがここで実現している。

晩年のDouglassは、白人が捏造し黒人が内面化してきた黒人劣等思想を黒人たちから払拭するために、それまで意図的に避けてきた黒人性を強調しながら、白人の血が入っていない黒人としてのToussaintを表象している。従来の白人読者を意識したものではなく、しかし白人至上主義の単純な裏返しではない形で黒人読者に向け意図的に発信されたものであった。“The Heroic Slave”などにみられたFounding Fathersの理念の援用などを行わず、黒人の“self-made-man”としてのToussaint像を創り上げようと試みたのである。それはDouglass自身が黒人の“self-made-man”であるにもかかわらず、父が白人ゆえに彼の黒人としてのauthenticityが時に疑問視され、彼の優れた資質はすべて「白人の血」によるものだとする当時の偏見への反証として創り出されたとも考えられる。Douglassの描いたToussaint像は、Douglass自身が4度に渡り書き改めた自伝において構築しようと試みた理想的な黒人指導者像に重なる。