1. 3.なぜ彼女はネガをばら撒いたのか――John Edgar Wideman, Two Cities (1998)における感情過剰の戦略

3.なぜ彼女はネガをばら撒いたのか――John Edgar Wideman, Two Cities (1998)における感情過剰の戦略

富山 寛之 慶應義塾大学(院)


アフリカ系アメリカ人作家、John Edgar Wideman(1941〜)の長篇Two Cities (1998)は、様々な意味で彼のキャリアを代表する作品といえる。タイトルの由来は、作品の舞台となったペンシルヴェニア州の都市、フィラデルフィアとピッツバーグ。自身が育ったこの二つの街での体験なくして、作家Widemanは生まれ得なかったばかりか、1967年のデビュー以降の作品群のほとんどが、この街のいずれかを舞台としている事を考えると、このタイトルは彼の作品史を端的に総括しているだろう。また、技法に目をむけると、断片化、コラージュ、自由間接話法、語り手・焦点人物の頻繁な交替は、Wideman小説を特徴づけるものとして、多くの批評家に指摘されてきた。さらに、主要なキャラクターたちが、それぞれに治癒しがたい深い傷を心に負っている所もまた、彼の小説の典型的なパターンといえる。とりわけ、ゲットーの暴力を原因とする家族の喪失は、彼が繰り返し取り上げてきた主題である。

本発表では、長篇Two Citiesを読み解くことで、Wideman小説のもう一つの特徴を成す、「感情の過剰」を提示する。彼の小説の主人公たちは皆、過剰と思えるほどに強く怒り、涙を流しながら泣き、そして通俗小説のように愛する。そして、彼らを客体として語る語り手までもが、時に自らの役割を忘れて対象に感情移入し、一緒になって敵を糾弾する。あまりに明白な特徴でありながら、これまでの批評では、反復を伴う断片化がテクスト上に現れるモダニスト的な技法のひとつとして、片付けられてきた。この特徴をTwo Cities において検討し、なぜこれまでの批評では軽視、黙殺されてきたのかを考える。その上で、感情が沸点に達するシーンとして、AIDSにより夫を、ゲットーの暴力により二人の息子を亡くした女性主人公のKassimaが、老写真家Mr. Malloryの葬儀に際し、狼藉をはたらくギャングの少年達に怒り、遺品のネガをばら撒くシーンを特に検討する。

そうすることで、一見すると過度な感情にかられての行動が、綿密に計算された時間の操作と深く結びついていることが浮かび上がる。最後に、それぞれに直情的なキャラクターたちのトラウマの奥深くに潜む、二つの時間とその間に流れる歴史について考察する。さらに、Widemanに対する影響が多くの批評家から指摘されてきたJames Baldwinの長篇Another Country (1962)をとりあげ、「感情過剰の戦略」という面から比較検討を試みたい。