1. 3.The Joy Luck Club におけるthe Mother Tongue

3.The Joy Luck Club におけるthe Mother Tongue

藤井  爽 名古屋大学(院)


Jane Gallop(1952-)は“Reading the Mother Tongue: Psychoanalytic Feminist Criticism”(1987)において、1985年に出版された自身の論文も所収されている論文集、The (M)other Tongue を分析する中で、母の語りを分析するための方法論を提示している。この論集はShirley Nelson Garner, Claire Kahane, Madelon Sprengnetherらによって編集され、主に精神分析を使ったフェミニスト・リーディングを扱っている。本発表では、この方法論に基づいてAmy Tan(1952-)のThe Joy Luck Club (1989)を読み解いていく。

Gallopはアメリカにおけるフェミニズムにおける精神分析の立ち位置やその流入の仕方、またラカン派と対象関係理論派の対立などを述べた後、論集の分析に入る。1970〜80年代に顕著だったフェミニストによる母親像の賛美について、Gallopはその行為がフェミニスト間の違いを覆い隠そうとするものであることを指摘している。現在ではフェミニストと一括りにされていても、その中には違いがあることは認識されているが、母親の名の元に差異が隠されることは現在でも起っていることであり、この視点は今でも重要だといえる。

Gallopは差異を他者性という言葉に置き換えて、論集のタイトルが示唆するmother tongueにすでに侵入しているother tongueについて考察をする。Gallopによれば、この論集は序文において精神分析とフェミニズムの結婚を華々しく祝福して始まるが、最終論考によって両者は離婚しているという。そしてその結婚を祝い、両者の違いを隠そうとしたのが母親像であったというのだ。フランスのフェミニストたちが注目した前エディプス期の母子関係でさえ、すでに家父長制の言葉で語られていることを述べ、前エディプス期の母はすでに他者であり、ラカン派の禁止された不在の母でもなく、対象関係理論の幼児の鏡でしかない母とも違った母をギャロップは提示する。そして、最後に母を他者として見て、母の語りの中に潜む他者を読むことを提案する。

The Joy Luck Club は発売当初から、母の語りを実現した小説だとして好意的に読まれてきた。しかし娘を救おうとする良き母親像の評価は、その陰で自己犠牲をして死んでいった母親たちの存在を覆い隠すことにも繋がる。四組の母娘の差異を無視するような読みは、娘を救う良き母親像をただ一つの母親像として提示することになりかねない。本発表は母と娘の語りに、従来の批評が評価した母親像以外の描写が紛れ込んでいるという観点から、母親像の中に潜む他者を読んでいこうというものである。

問題とするのは、死んだ母との葛藤を抱える娘が母の故郷の中国を訪れることで、その葛藤を解消するという筋書きである。娘の葛藤とは母の期待に添えなかったことや、母の真意が分からずにいることなどである。ここではGallopが指摘したような解消できない他者性が中国という存在によって霧散している。精神分析とフェミニズムの違いを覆い隠す母親像のように、中国という存在が娘の葛藤を覆い隠しているのではないだろうか。そうだとすれば、母の語りを実現してきたとされる評価は一変することになる。小説中の約半分を占める母の語りが、娘の葛藤を覆い隠すものとして機能していると読めるからである。