1. 1.Fitzgeraldと空間の比喩――Tender Is the Nightにおける旅と精神分析

1.Fitzgeraldと空間の比喩――Tender Is the Nightにおける旅と精神分析

井出 達郎 北海道大学(院)


今発表では、FitzgeraldのTender Is the Night (1934, 1951)における「旅」と「精神分析」というモチーフを、空間の比喩という視点から関連づけて考察する。特に、20世紀全体における空間の想像力の変容を補助線にしながら、彼の目指した「時代のモデル」としてのこの作品の意義を、空間という主題から照らし出してみたい。

もともとFitzgeraldは、The Great Gatsby (1926)や”The Swimmers”(1929)といった作品にみるように、アメリカの象徴としての西部が生み出したような、まだ見ぬ未踏の土地に向かって進み続けるという心象風景に魅せられてきた作家であった。しかし、彼が生きた19世紀末からの20世紀初頭は、そのような「まだ見ぬ未踏の土地」を急速に消滅させていく時代にほかならなかった。帝国主義の地球規模的な展開、交通手段やメディアの発達、フロンティアの消滅、第一次世界大戦といった出来事は、かつては遠くにありて思うものだった場所を一挙に接続させ、「ここ」と「あそこ」という区別を次第にぼかしていきながら、世界をひとつの移動可能な領域へと変貌させていった。そこではもはや、到達すべき彼方の場所という空間の比喩が、実際の地理的状況においても、またそれを思う心理的状況においても、意味をなさなくなり始めていたのである。

SpenglerのThe Decline of the West (1918)といった著作や第一次世界大戦の資料に大きな関心を持っていたFitzgeraldは、このような空間の想像力の時代的な変容を、旅と精神分析という題材を通して描き込んでいく。Rosemary Hoytに代表される作中の旅行者は、発達した乗り物の恩恵を十分に享受し、どこへでも行けるという恵まれた状況にあるかのようにみえる。しかし、彼らは決して異国に来たという感情を持つことができない。商品の世界的な流通、ハリウッド映画のイメージの蔓延、世界大戦が引き起こした明確な国民意識の薄れなど、距離を飛び越えて働く想像の共同体の中に、彼らは閉じ込められ続けるからである。他方、主人公Dick Diverが携わる精神分析は、同じ過程を内面的世界において進行させていく。それは、異常な精神状態、すなわちDickの言う「意識のフロンティア」を越えた領域を探求する一方で、彼の症例の実践的分類の研究にみるように、そうした未知の場所を、ひとつの体系化された全体へ収束させていこうとする。内面的世界における辺境の地もまた、その遠さを保ちつづけることを許されず、より大きな包括的空間へと回収されていくのである。

しかし、まさにこの遠くを幻視することができない行き詰まりの状況から、空間の比喩の新しい可能性が押し出されるようにして現れてくる。主人公Dickの転落の物語は、旅と精神分析の両方から切り離される過程として描かれるのだが、同時に、それらが行使する力の圏内をはみだすような運動をもほのめかされていく。それは、遠くの場所を目指すという水平的な移動ではなく、拡がりを失った「いま・ここ」という場所を、いわば垂直に貫くような運動である。同一の場所に違う次元を見出していくこの運動は、あたかもエピグラムのキーツの詩の引用をなぞるかのように、遠くを幻視する視力を奪われた空間の中にあって、なおかつ垂直の方向から感じられる何かのように、時代の要求する想像力を超えていく、空間の比喩の新しい次元を予感させるものである。