1. 1.個人から共同体の弔いへ−“Roger Malvin’s Burial”における遅すぎた埋葬

1.個人から共同体の弔いへ−“Roger Malvin’s Burial”における遅すぎた埋葬

小宮山真美子 中央学院大学(非常勤)


1832年に雑誌The Token に掲載されたNathaniel Hawthorneの短編“Roger Malvin’s Burial”は、物語の時代設定を1725年の「ラヴェルの戦い」の史実に依拠している。しかしながら語りではインディアンへの奇襲攻撃には触れておらず、負傷しつつも生き延びたReuben Bourneの18年間の人生が、家族という小さなコミュニティに的を絞って描かれている。その始まりと終わりに置かれているのが、家族内で起こった「二つの死」である。ひとつめはReubenの戦友であり後に義父となるRoger Malvinが、荒野の中で朽ち果ててゆく姿。ふたつめはRogerを置き去りにした同じ場所に横たわる、マスケット銃で誤射した息子Cyrusの死体である。Rogerの墓でもある岩の下でReubenの息子が息を引き取る循環的な枠組みに対し、Reubenの義父遺棄罪を愛息の生贄で贖ったと読む批評は多い。しかしタイトルにもなっている「埋葬」の行為そのものに焦点を当てた議論は稀なように思う。

本発表では、家族の歯車を狂わせた起因がReubenの「埋葬の行為の遅延」にあると仮定し、Hawthorne作品における祖先への弔いの意識を考察する。Rogerの死を看取ることなく一人生還したReubenは、「今でも生きていて岩の根元で助けを待っている」義父の幻影と、「埋葬されていない死者が荒野から呼んでいる」声に苛まれていた。これはReubenが義父との約束を不履行のままにした状態から生まれた心理作用であり、遺棄されたRogerの呪いと読むことは難しい。なぜならRogerが別れの際にReubenに告げたことは唯ふたつ。娘Docasと結婚し子孫繁栄を願ったことと、「傷が癒えて体力が戻ったら、ここに戻ってきて墓に骨を埋めてくれ」という埋葬の約束である。しかしDocasにも共同体の人々にもRogerの弔いを果たしたと称賛されたReubenは、自分の嘘を正すことも出来ぬまま埋葬を先延ばしにしていた。その結果、子孫繁栄、更には共同体の発展をも破綻させてしまう。なぜならCyrusは周囲から将来の指導者と見込まれており、語り手も「一族の祖、民族の長、そして未来の強国の創建者」の姿を彼に見出していたからだ。Cyrusの存在は家族という小さな単位を越え、独立を前にしたアメリカ国家の共同体を担う可能性をも持ち得た。よってReubenがCyrusを自らの手で殺めたことは、国家の未来の芽の一部をも摘んだことになる。この悪循環ともいえる家族の崩壊劇は、ReubenがRogerの亡骸を埋葬する「行為」を怠ったことから招いた結末なのだ。

Hawthorneは死者を弔う過去への意識を、現在から未来へと繋げる健全な時間を生み出すための共同体の営みと捉えている。3年後に発表した”Alice Doane’s Appeal”(1835)では、17世紀末の魔女騒動の末、Gallows Hillに祖先を弔うための「黒ずんだ墓石」すら建てられていないことを悲嘆し、またThe House of the Seven Gables (1851)でも清算されていない祖先の過ちを「巨人の死体」に例え、過去の埋葬こそが現在の時間を循環させる手立てだと指摘している。これらを考慮しつつ、本発表では18世紀に時代を設定し家族の埋葬をし損ねたこの物語を、Ruebenが父と息子を失ったように、国家の未来が過去の代償となる危険性を孕んでいるという観点から検証したい。