1. 3.分裂するTommo――Typee におけるメタファーとしてのカニバリズム

3.分裂するTommo――Typee におけるメタファーとしてのカニバリズム

大川  淳 関西学院大学(院)


Herman MelvilleのTypee: A Peep at Polynesian Life におけるカニバリズムのテーマに焦点を当て、Typee谷を賞賛すると同時にそこからの逃避願望を抱くTommoの矛盾した状態を考察する。これまでのTypee の伝統的な批評史は主に二つの観点で分類することが出来る。一つはTypee をMelvilleのポリネシアでの実体験に基づく伝記的作品として捉えるものであり、もう一つはこの作品の文学的な芸術性を分析することによって純文学として捉える観点である。また、これらの伝統的な批評史に加えて近年の批評史では、ポストコロニアリズム批評の視点からTypee における文化的表象にも焦点を当てる傾向がある。

しかしながら、こうした批評史の蓄積に鑑みても、依然としてテクスト分析にはさらなる解釈の余地があるように思われる。たしかにこの作品はMelvilleの実体験に基づいて書かれてはいるが、過剰な誇張表現を用いる語り手Tommoの語り口に注目してみるならば、Typee族との生活は客観的に観察するような視点で描かれているとは言い難い。このことを予表するかのように、第四章で舞台となるNukuheva島を“a vast natural amphitheatre”とTommoは喩える。これから語るTypee族との生活をあたかも脚色された演劇のように描写しようとする彼の姿勢が、ここに読み取れる。つまり、Typee の伝記的要素あるいは客観的事実としての要素は希薄化し、むしろTommoの意識によって脚色された極めてフィクショナルな要素が窺われるのである。これらのことから、Typee をTommoの意識が紡ぐフィクションとして捉え、そこからこの作品を考察する余地があると言える。

Typee において最も難解な問題の一つとして、Typee谷を“Happy Valley”と形容する一方で、そこからの逃避願望を抱くという矛盾したTommoの状態が挙げられる。彼の逃避願望を誘引するものは、主にカニバリズム、タトゥー、足の病である。しかし、Tommoはこれらを説明する際“inexplicable”や“mysterious”という形容詞を多用し、逃避の原因となるこれらの核心は極めて曖昧に語られる。とりわけ、Tommoは食人行為を直接目撃することはなく、カニバリズムは読者に対して常に隠蔽されるかのように語られる。また、タトゥーと足の病に関してカニバリスティックな要素を匂わせ続けるTommoの語り口を踏まえれば、カニバリズムに関する表層的な食人行為を、比喩的なものへ変容させるMelvilleの意図が浮き彫りになるのではなかろうか。

本論では、テクスト内におけるカニバリズムを彷彿とさせるタトゥーと足の病に纏わる描写に焦点を当て、これらがモティーフとしてどのように絡み合ってTypee を構成しているのかを検証する。また、それによってTypee の主題であるカニバリズムを肉体的食人行為としてではなく、精神的浸食行為のメタファーとして考察し、Typee族の「他者性」によって「自己」が内面から侵食されるTommoの引き裂かれた状態を明らかにしたい。