1. ワークショップU(関西支部Research Group)(般2-203教室)

ワークショップU(関西支部Research Group)(般2-203教室)

記録/ 記憶メディアとしての文学の生と死

責任者・発表者
大阪大学 岡本 太助
発表者
関西外国語大学 松原 陽子
大阪大学(非常勤) 田中 千晶
関西学院大学(院) 千葉 淳平



文学とは記憶と記録のメディアであるということができる。個人的・集団的経験を記録し作品として再編する過程で生じる文学的経験もあれば、そうした過程そのものが物語として提示されることもありうる。記憶/記録メディアとしての文学の特質が最も明らかになるのは、人間の生と死がテーマとして焦点化されるときである。とはいえ、一回性の出来事でありきわめて私的なものである人間の生と死の経験は、個人レベルでの「記憶」にとどまることがほとんどである。そこで今回は、そうした経験を記録し伝播するメディアとしての文学の機能に着目することで、文学と記憶をめぐる従来の議論に再考を加えたい。各講師が現在進行中の研究に基づき、それぞれに全く異なる領域から全体テーマへのアプローチを試みるなかで、文学における、あるいは文学による記憶と記録の差異や相互の関連についての斬新なヴィジョンを提示できればと思う。

  1. 「『境界』に生きること――チカーナ/ノ文学にみる死と再生」では、松原陽子が、マイノリティ文学における主要テーマの一つである、多文化状況における自己形成の問題を論じる。主流文化との衝突・折衝の中で経験する象徴的な「死」は、個人的/集団的記憶の再編であると同時に、新たなる自己への再生の契機でもあるとの観点から、チカーナ/ノ文学における自己形成の物語に焦点を当て、その過程に描かれる象徴的な「死」について、チカーナ/ノ文化の雑種性やそこに刻まれた性差に注目しながら考察する。
  2. 「亡霊が語る『語りえないもの』」では、田中千晶が、アフリカン・アメリカン作家Zora Neale Hurstonが、「死のような匂いがある」と描写される貧困から抜け出し、作家・フォークロア研究者となるまでを描いた自伝 Dust Tracks on a Road (1942)を論じる。一度絶版になったこの自伝が、1975年以降のハーストン再評価の流れを受けて再版された際に、出版時にリッピンコット社の指示で削除された3つの章が、「補遺」として付け加えられたことに注目し、この補遺をテクストに取り憑いた亡霊として考察していく。この補遺がどのように自伝としてのこのテクストを解体し、現代のわれわれに記憶/記録を投げかけるのかを明らかにする。
  3. 「生の記憶 ―フォークナーの作品におけるニオイの諸相」では、千葉淳平が、ニオイは他の感覚により知覚されるものとは異なり確固たる実体を持たないが、視覚や聴覚から得ることが不可能な情報を媒介するメディアとなりうるとの視点から、William Faulkner作品を論じる。Faulkner作品に描出される花の芳香は生/性を含意することもあれば、死体から発散される腐敗臭は自己存在を確立するために機能することもあるといえる。Faulknerが描くニオイに焦点を当て、それがどのように生と死を物語るのかを検証する。
  4. 「生命科学と病のナラティヴ」では、岡本太助が、米、英、カナダ文学の近年の成果から、生命科学や病を主題に据えた小説を取り上げ、記憶/記録メディアとしての小説における新たな展開を概観する。M. Atwood, Oryx and Crake (2003)、 K. Ishiguro, Never Let Me Go (2005)、K. Edwards, The Memory Keeper’s Daughter (2005)、R. Powers, The Echo Maker (2006)他を比較検討し、関連領域の批評の動向にも言及しながら、21世紀英語圏文学のある傾向を明らかにしたい。