1. 第2室(般2-102教室)

第2室(般2-102教室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
齊藤  昇

1.“The Man of the Crowd”試論――群衆の中の差異

  岡本 晃幸 : 関西学院大学(院)

2.エマソン主要エッセイの語り手――エマソンの魅力を探る

  藤田 佳子 : 神戸女学院大学(非常勤)

高橋  勤

3.帰化する種子――ThoreauのCape Cod と移民

  山口 敬雄 : 東京福祉大学

4.前向きの意識と後ろ向きの意識――William JamesとHenry Jamesにおける時間性

  齊藤 弘平 : 青山学院大学(院)



岡本 晃幸 関西学院大学(院)


Nicolaus MillsはThe Crowd in American Literature においてHawthorne、Melville、Twainの作品における群集を分析しつつ、「アメリカにおいて民主主義的な民衆“democratic men”が民主主義的な個人“democratic man”の敵であるという永続的な恐怖」を見出している。しかし自らの本の主題を「群集の政治的な行動」とするMillsは、いかにも彼の研究と関連がありそうなEdgar Allan Poeの“The Man of the Crowd”(1840)の群集は「比喩的」であるとして考察の対象から除外している。確かに、Kenneth Silvermanの言葉を借りれば、当時の「旋風のような社会的変化」をほとんど描くことがなかったPoeの作品中の群集が、政治学的な議論において魅力的ではないとしても不思議ではないだろう。

しかし、「群集」というテーマにおいて“men”と“man”の違いが重要であるのならば、Poeの短編もまた政治学的文脈とは違った形でこの問題を扱っている。そのことは、語り手が短編の約半分を費やして群集の一人ひとりの特徴を見つけていくこと、言い換えるなら“men”を“man”に分類することにあらわれている。

夏と冬の境目である秋、光と闇が交じり合う夕暮れという短編の設定が暗示しているように、物語の中の境界線は曖昧としている。そして「闇が迫ってくるにつれて、人出は刻々と増えてきた」という言葉が示すように、闇と群集が結び付けられている。闇を「混沌」という伝統的なイメージで解釈するならば、そこに結び付けられた群集は「混沌」そのものであり、事実語り手は群集を“masses”としてしか認識できない。しかし語り手は次第に一人ひとりの特徴を見出して分類し、混沌から秩序を作り出していく。従って、混沌の中に境界線をひき秩序を作るための基礎となる差異を見出していくことが、この短編の重要な主題であると言える。

語り手は微細な差異を捉え分類し、秩序を完成するかのように思われる。しかし、ある分類不能の老人を発見してしまったことによって、秩序の完成は阻まれる。語り手は彼を分析しようとするが、どうしても分類することができず、終にカフェを飛び出して追跡を始めるのだが、結局老人の正体はわからない。そして老人の追跡を断念するとき、物語を通して行われてきた差異を見つけ秩序の完成を目指す語り手の試みもまた失敗に終わる。

このように本発表では「差異」をキーワードにこの短編を解釈していきたい。


藤田 佳子 神戸女学院大学(非常勤)


Melville やHawthorneのようにテクストの精読が新たな評価を導き、新たな方法論を生み出すという段階に、Emerson研究はまだ達していないようだ、とMichael Lopez(1996)は述べている。この事情は10余年後の今も変わっていないようだ。むしろ、“political Emerson”、“multi-cultural Emerson”といった、従来の「コンコードの賢人」イメージを修正する新たなEmerson像構築に近年の特徴は見られる。しかし、Emersonを論じまた教える際に、主要エッセイが避けて通れぬものであれば、われわれはいかにそれに対処すべきだろうか。研究者にとってエマソン・エッセイの最大の難点はその矛盾にある。Emerson研究に画期的方向付けを与えることになるS. Whicherはその矛盾を初期楽観思想から後期懐疑思想への展開という構図の中に解明・解消した。また近年のアメリカニストらはEmersonの脱超越主義化を試み、むしろ非超越論的要素の中にこそEmersonの本質を見ようとする。だが一方で、エッセイを文学作品として考察する立場もまたありうる。その場合には語りそのものが重視されなければならないだろう。エッセイの中の発言はすべて等価なのだろうか?語り手と読者、語り手と作者の距離は不変なのだろうか?

今、試みに『エッセイ集』から“Circles”、『同、続編』から“Nature”を取り上げ類似の思想を『日記』の中に求めてみると、エッセイの方には明らかにポーズ(pose)がある。Emersonのエッセイをエッセイたらしめているものはペルソナの存在なのだ。この特徴は、Emersonが愛好したモンテーニュの『エセー』と比べてみても明らかである。例えば、有名な“On Cannibals”では、人を驚かせる内容を含みながらも作者は終始誠実に熱をこめて語り、ためらいや距離の揺れは見られない。一方、Emersonのペルソナは、読者の全面的信頼を要請しながらも突然のトーンの落ち込みや上昇で当惑を招く。彼の文言を文字通り受け止めれば内容の矛盾が浮かび上がってくる。なにしろ、「われわれは多数の衣を着けて語ってよいのだ」(『日記』)と述べるEmersonであり、「わたしは実験しているだけだ(信を置くな)」と言い放つペルソナである。ペルソナの演技と見れば、ここに一人の創造人物の姿が躍動しているわけだが、論旨を追うには事実、困難が伴う。

それ故にこそEmersonは各エッセイの冒頭に自作の詩をエピグラフとして掲げたのだと思われる。そこでは難解ではあるが美しい詩的言語を通じてエッセイの基本理念がうたわれる。Emersonの生の声が響く。このあとではEmersonはかなり自由にペルソナに語らせることができるだろう。Emersonは語りを楽しんでいたのかもしれない。そしてわれわれはもう少し余裕を持って彼のエッセイを読んでもよいのかもしれない。

Emerson におけるペルソナの概念は最初に L. Buellによって提唱され(70年代)、次いで L. Neufeldtによって細分化された(80年代)。しかし以後発展は無い。本発表では優れた先行研究を出発点としてさらに、「距離」や「焦点化」といったナラトロジーの概念も援用して考察を進め、エマソン・エッセイの魅力を考えたい。


山口 敬雄 東京福祉大学


本発表では、Henry David ThoreauのCape Cod (1862) におけるアイルランド移民船の難破に注目し、19世紀半ばの移民言説とThoreauのネイチャー・ライティングとの相互補完的な関係性を解明する。ソローがケープコッドで目撃した1849年10月の海難事故は、同時代のジャガイモ飢饉によるアイルランド移民問題を喚起する。大量の移民流入に呼応し高まる移民排斥運動は、1843年にthe Native American Partyを誕生させ、急速に拡大を果たす。この移民排斥運動は主にローマ教皇への忠誠とアメリカ共和主義の否定を懸念し、アイルランド・カトリック移民を排斥することになる。

この歴史的コンテキストから読み直すとき、Cape Cod で言及される植物のナチュラル・ヒストリーは重要な意味を帯びる。Thoreauがケープコッドで観察するチョウセンアサガオ (Datura stramonium ) は、元来インドや中央アメリカに自生する植物であり、人間の世界規模の移動に伴い船底部に混じり、その先の土地に根付いたものである。極めてローカルな岬の浜辺に咲く白い花からグローバルに分布する生命のダイナミズムを直観する視線は、まさに超越主義者Thoreauの真骨頂といえる。しかし、本発表で注目するのはThoreauのナチュラル・ヒストリーに潜む、もう一つの民族の移動という現実的側面である。1849年のいわゆる「棺桶船」の船底部にはアイルランド人が乗り込み、チョウセンアサガオの種子と同様グローバルに分布する。

New York Times の編集者であったHenry J. Raymondは極端な移民排斥論をずらしつつ、アメリカ市民にとって脅威となりうる宗教的政治的要素を全て払拭する「アメリカ化」を主張する。移民が排除・制限されることなく、その土地に適応することにより生存可能性を付与されるという原理は、Cape Cod において植物の帰化(naturalize)というモチーフの中に頻繁に登場する。Thoreauは、かつて難破したフランクリン号から漂着したビートの種子の生長から、土壌と気候に適応することにより植物は新しい風土になじんで帰化することが可能であるという、ダーウィニズム的認識を示す。グローバルに拡散する多様な民族は漂着した国の土地に適応することができればネイティヴになりうるとする、Raymondの移民同化論と、ThoreauのCape Cod におけるネイチャー・ライティングとは、「帰化」をめぐって論理を共有する。本発表では、ロマン主義的なCape Cod を同時代の移民問題の言説空間に位置づけ、多民族国家アメリカ合衆国が一体的な国民統合へと向かうプロセスを解明したい。


齊藤 弘平 青山学院大学(院)


「思わせぶりな言及を果てしなく練り上げていく、物語の方法」が「見事な効果」を上げている−Henry JamesのThe Golden Bowl (1904) を読み終えた後、兄Williamは弟への私信でその小説芸術としての達成を称えながらも、「お前の方法と私の理想はどうやら正反対のように思える」と続けて述べている。そして、次の作品に取り組む際には「プロットをぼんやりとさせたり、言い逃れだらけの会話の応酬をしたり、心理学的なコメンタリーをしたり」することなく、「まったく衒いのないまっすぐなスタイル」で書いてほしいと懇願までしている。晩年The American Scene (1907) を読んだ感想を伝える私信になると、空気や光などの「触ることのできない素材」を描写しつづけることで、読者にそれらの「知覚」を喚起させようとする弟Henryの方法/スタイルは「ユニーク」ではあるが、ただ事物や対象の「芳香」に到達するだけで、世界の「見せかけ」(simulacrum)を提供するだけであると、兄Williamは一層批判の色を強めることになる。

このWilliamからHenryへの私信で表明されている難色は、単なる兄弟間の仲違いのドキュメントとして読み過ごすこともできなければ、また哲学的厳密性と小説的遊戯の間にあるスタイルや趣味の違いへと還元できるものでなく、より大きな問題を提起している。一方は心理学的/哲学的な真理探求のための基礎づけとして、他方は小説における物語の原理として、それぞれ「意識」という心的現象について同時代に考察し書きつづけたゆえ、いまや余りにも一般化された「意識の流れ」という文化的符丁のおかげもあって、James兄弟の「意識」についての理解、定義、表象の仕方は、往々にして共通性を有していると考えられている。古くはRichard Hocksが説いたようにHenryはWilliamの哲学における「意識」や「真理」の定義を「適用」し「ドラマ化」した小説家であると言えるし、近年ではRoss Posnockが説くように両者ともに「流動性」「浸透可能性」(permeability)によって基礎づけられる近代的主体観を、不断に流れゆく自己意識こそを原理とする著作群をもって確立していると言える。しかし、前述のWilliamの私信がそれとなく知らせてくれているのだが、実は両者のテキストにおいては、「意識」を巡って、世界の表象を巡って、根本的に「正反対」の見地がある。

本発表では、その決定的な差異を、「意識」の現れ方を支配する時間性に探り当てたいと考える。Williamの哲学においては、心理学的な意味でも形而上学的な意味でも、「意識」は常に継起/進行の様相をもって、いわば<前向き>に発展していくものと把握されている。反して、Henryの3部作や “The Beast in the Jungle” (1903) などの後期作品においては、「意識」は常に「予期」や「回想」といったかたちで時間軸のワープを経験することで生じる。その事態は、「回想」=いわば<後ろ向き>の時間性を表象するための、過去完了形の多用という小説技法上の執拗な実践に観察できる。そして、このHenryによる<後ろ向き>の時間性こそが、プラグマティズムからリベラリズムまで連綿と継承されている、時間の線状的・継起的な「連続性」、または主観が対象を実定的かつ直接的に認知できるとする認識論など、世紀転換期アメリカの知的メインストリームが有した進歩主義的で<前向き>な諸前提に対抗するかのごとく、人間心理における複雑で不透明なメカニズムを書き込む文学的実践となっている。

WilliamとHenry両者の「意識」及びその時間性の表象を比較して論じることで、研究史上十分に省みられることはなかったし、勿論本人たちの口からも明らかにはされていない、James兄弟間にある根本的な<方向性の違い>を見定めたい。