1. 闖入する作者――ヴォネガットのストレンジャーたちをめぐって

闖入する作者――ヴォネガットのストレンジャーたちをめぐって

日本学術振興会 永野 文香


「現代のトウェイン」と呼ばれたカート・ヴォネガット(1922-2007)は折りに触れマーク・トウェインへの敬意を表明してきた。たしかにテクノロジーや戦争に対する姿勢,人間機械論,さらに運命論と自由意志の問題など,両者のテーマ上の共通点は多くの批評家が指摘する通りだが,ヴォネガット本人がもっとも高く評価したのは,トウェイン作品のまんなかに作者がいるということ,すなわち「作品」「作者」「読者」の親密な関係性である。実際,彼が講演やインタビューにかなりの時間を割き,熱烈な読者共同体を生み出していったのも,こうしたトウェイン観に基づいてのことであった。つまり,ヴォネガットにとってトウェインはもはや作家としてのスタイルを決定する準拠枠になっていたのであり,だからこそ,トウェインについて語る言葉は彼自身について多くのことを物語るのではないか。

以上のような問題意識から,本発表では1960年代以降の作品に繰り返し登場する「作者ヴォネガット」というモチーフに注目し,作品内世界と作品外世界を架橋する作家の存在について考察してみたい。生前,トウェインの影響を訊ねられたヴォネガットは,トウェインと自分の共通点はともに不可知論者であることと,「大きな戦争で敵方にいた経験があること」だと述べている。こうして,ヴォネガットのナチス・ドイツはトウェインの南部へ重ね合わされ,戦後,「敵方にいた」体験を書く難しさもまた,トウェイン経由で再確認されている。では,その難しさに直面したとき,逆説的に「作者ヴォネガット」が作品に呼び込まれた必然性とは何だったのか。それはヴォネガットのトウェイン理解とどう関わるのだろうか。ドレスデン爆撃に関する歴史的研究や最新の伝記資料を参照しながら,Mother Night (1961; 1966) や Slaughterhouse-Five (1969) 以降の作品を再読し,ヴォネガットにおける「作品」「作者」「読者」の関係性を再検証したい。そして,その延長線上にヴォネガットが晩年熱心に取り組んだ講演活動や時事エッセイを位置づけることで,この「国のない男」がトウェインに学んだ(と主張する)「作家の倫理的責任」を明らかにできればと考えている。