1. 1.Julia Alvarez作品における権力構造のパラダイム−メイドたちのミミクリーと逆襲

1.Julia Alvarez作品における権力構造のパラダイム−メイドたちのミミクリーと逆襲

塚本 美穂 福岡女子大学(院)

 

ニューヨーク生まれのJulia Alvarez (1950- )は,幼少時に過ごしたドミニカ共和国と米国での生活体験を描く作家である。彼女の作品で特徴的なのは,多数の語り手による声と複数のメイドたちの登場である。メイドは多くの場合,社会の低下層におかれ,主人公が上流階級に属する場合は存在感も薄い。しかしながら,Alvarezは !Yo! (1997)においては,主人公Yolandaを語り手として登場させず,脇役である一人のメイドを語り手として採用する。

インド出身の文芸批評家Gayatri Spivakは,Can the Subaltern Speak? の中で,カースト制の下層民サバルタンの失われた声を知識層や上流層からの声として主張しているが,Alvarezの場合は,社会階層の底辺に存在する女性のメイドたちを登場させて,あえて声を持つ主体として語らせ,彼女たちの視線からみた社会の経済的格差,教育格差,職業選択の自由,人種差別等の問題を浮かび上がらせる。社会の下層に生まれたことでメイドの子はメイドという社会体制,メイド間における人種差別にも言及する。

さらにAlvarezは,How the Garcia Girls Lost Their Accents (1991)において,肌の浅黒さを表現する時に,メイドの肌の色を“black-black”, “blue-black”,“light-skinned”と区別する。Alvarezの批判する肌の差異化は,マルティニークの精神科医フランツ・ファノンが『黒い皮膚・白い仮面』で指摘するように,有色人種の肌の色彩に関するコンプレックスを拡大させると同時に,白い肌への憧れと羨望を生み出す。これは,メイドNiveaの母親が,娘の肌をこすり,アメリカの洗顔クリームを肌に塗布し,肌が白くなるように願いを込めることからも明らかである。この白さへの憧れはファノンが述べる白人への憎悪とは対照的であり,一種のアメリカン・ドリーム的な羨望の眼差しがみられる。彼女たちは「黒い皮膚」をこすりとり,「白い仮面」をつけることを望んでいる。他のメイドGladysも女主人の捨てた米国雑誌のモデルの髪型を真似,ニューヨークで女優になることを夢見ているが,これはインドのポストコロニアル批評家ホミ・バーバが提唱する,西欧人への憧れや模倣であるミミクリーを連想させる。しかし,メイドたちのミミクリーは西欧人への外見的な模倣であり,羨望を持って受け入れる表面的な文化の受容でしかありえず,バーバの定義する支配者に対する反権威主義的な言動はみられない。

唯一例外として提示されたのが,!Yo! に登場するSaritaのケースである。AlvarezはあえてSaritaの父親をGarcia 一家の男,母をメイドという設定にし,Saritaを米国で自分の境遇を変える人物として描く。社会構造における被支配者が支配者に対抗する手立てとして,Saritaに一時的なプロのテニス選手ではなく,精神科医というスキルを持つ職業を選択させることで,主人公Yolandaを見返すのである。メイドの子であったSaritaは,質素な衣服をまとい,安月給で家族も持てないYolandaのアイデンティティを脅かす存在になったといえる。

本発表では,社会構造に従順なメイドGladysと,社会構造へ対抗する被支配者のメイドSaritaを対極的に提示することによって,メイドたちの階級社会における差異を考察するとともに,ドミニカ共和国におけるハイチの人種問題やドミニカ共和国の階級社会の背景に潜む権力のパラダイムの構造を検討したい。