1. 4.アクチュアリティとグロテスク――Flannery O’Connorの作品における行為,融合,再創造

4.アクチュアリティとグロテスク――Flannery O’Connorの作品における行為,融合,再創造

山辺 省太 関東学院大学

 

Flannery O’Connorの描く暴力的な文学世界が,彼女の信仰するカソリック世界とその底流において深く繋がっていることは今さら言うまでもない。そうでありながら,O’Connorはカソリックの世界を描くのに特に難しい神学的論議を文学作品に持ち出すことはしない。むしろ逆に,「カソリック小説とは,物質と人間関係の織り成すこの世にリアリティが現われて見えるままに」描くことであると言い,その文学世界は徹底したリアリズムである。そうであるならば,なぜ彼女の描く現実世界は一見リアリズムから逸脱したようなグロテスクな世界として読者の目に映るのだろうか。

実際のところ,O’Connorの中ではこれら二つ――「現われて見えるままの」現実世界とグロテスクな世界――は矛盾しない。もちろん,読者に暴力的な衝撃を与えるために,文学的技法として物質や人物をデフォルメし,グロテスクな形象を作り上げることを仄めかしはするが,それでもO’Connorにとってグロテスクとは「飾りのないそのまま」(literal) なものであり,「子供の絵が事実に忠実であるのと同じように事実に即しており,子供は見たものをねじ曲げようとはしないのだ」と,彼女独自の概念を展開する。

O’Connorにとって現実世界とは神の創造した神聖な世界,彼女の表現をそのまま用いれば“all of reality is the potential kingdom of Christ, and the face of the earth is waiting to be recreated by his spirit”であり,そして最後の審判の後に降臨する「神の国」へと形成されていく世界なのだ。「再創造」という考え方は,彼女が愛読したPierre Teilhard de ChardinのThe Phenomenon of Man やThe Divine Milieu に書かれた「進化」と共振しているのであろう。この「進化」の辿り着く点を「オメガ点」と彼は名づけているが,それは世界に存在するすべてものが有機的統一体として融合しながら収斂する究極の一点,つまり創造の完結する終点である。そして,「進化」という運動の原動力となるのが,世界の分子同士が互いに呼び交わしながら浸透し合う「融合」「結合」である,とTeilhard de Chardinは言う。

周知のごとく,グロテスクとはイタリア語のグロッタ (洞窟) という語源を持ち,その壁に描かれた模様が自然界の規範から逸脱したような植物,動物,人間の渦巻きの如く絡み合った形象であることに端を発し,そしてそれは現実世界の秩序や境界線の攪乱を示すことで見る者の精神的攪乱を引き起こす。もしO’Connorにとって現実世界が物質間の安定した境界が崩れ落ちながら再創造されていくものであるなら,それは当然グロテスクな形象との共犯関係を持たざるをえないであろう。本発表においては,これまでの批評においてつとに指摘されてきたO’Connor文学のグロテスクさを再検証しつつ,彼女の現実世界――特にアクチュアリティという言葉に留意しつつ――に秘められた神学的な意義について考察したい。彼女が死の床で執筆した“Parker’s Back”を主に取り扱う予定である。