1. 3.境界を司る者―トリックスターとしてのCharles Bon

3.境界を司る者―トリックスターとしてのCharles Bon

島貫香代子 京都大学(院)

 

ハイチ生まれでニューオーリンズ育ちのCharles Bonは,William FaulknerのAbsalom, Absalom! (1936)で特異な位置を占めている。語り手たちの誰もが実際には見たことのないミステリアスなBonの存在は,Thomas Sutpenの物語を再構築する上で,彼らの想像力/創造力をかき立てた。

Bon,ハイチ,そしてニューオーリンズに関する従来の研究では,アメリカ帝国主義の歴史が主に焦点となってきたが,本発表では,奴隷貿易を通じて西アフリカからハイチやニューオーリンズへと伝わったブードゥー教との関連性からBonの存在について考察してみたい。従来の研究でもブードゥー教はアメリカ帝国主義やハリウッド映画産業とともに論じられてきたが,Bon自身がブードゥー教との関わりで論じられることはあまりなかったように思われる。そこで本発表では,Bonがブードゥー教のトリックスターであるレグバ(別名エシュ・エレグバラ)に類似した役割を担っていることに注目し,Bonの新たな一面を探ってみたい。後年のFaulknerの言葉を引用するならば,トリックスターとしてのBonは「アクチュアルなものをアポクリファルなものに昇華させた」存在なのである。

社会の秩序を混乱させる「いたずら者」であるトリックスターによって閉塞した状況や場が破壊されると,そこに変容や創造が生じ,新しい秩序や価値観がもたらされる。しかし,いくらトリックスターが行動を起こしても,周囲の人々がその変化を受け入れなければ,トリックスターは「厄介者」や「破壊者」として非難されるだけに留まる。優雅で洗練されたクレオールから黒人の血が混じっている可能性のあるSutpenの息子へと語り手たちの間で変化するBonは,他の登場人物たちの価値転換をうながすきっかけとなりうる存在だった。しかし,近親相姦には目をつぶっても人種混淆を受け入れることができないSutpenのもう一人の息子Henryによって,Sutpen荘園の門で射殺されることになる。

門や入口はまた,ブードゥー教のレグバにとって重要な意味を持っている。トリックスターとして知られるこの神は,十字路に住み,街道や扉,神の世界と人間社会の境界と考えられている場所を司る。境界に位置し,「男」と「女」,「中心」と「周辺」,「秩序」と「混沌」などの相反する要素を包含する両義的な存在であるレグバは,性的・人種的・場所的な位置づけがきわめて曖昧なBonを連想させる特徴を備えていると言えるだろう。本発表では,Bonとレグバのふるまいを比較検討することで,Bonの存在が体現する「境界性」に関する考察を深めていきたい。