1. 3.「イノセント」を騙るサンドイッチ諸島の通信員“Mark Twain”--Roughing It のハワイ滞在記におけるユーモアの消去

3.「イノセント」を騙るサンドイッチ諸島の通信員“Mark Twain”--Roughing It のハワイ滞在記におけるユーモアの消去

平田美千子 関西学院大学(院研究員)

 

Mark Twainは記者時代に当時サンドイッチ諸島と呼ばれていたハワイにおいて通信員の仕事を引き受けた。サクラメントのUnion 紙に掲載されたその滞在記は西部読者の人気を博した。ところが,Roughing It のハワイに関する章の約3分の2は,その通信文を編集したものであるのに,オリジナルと比べてTwain独特のユーモアの勢いが減じている感が拭えない。実際,ハワイの部分のこれまでの評価は,頁数の間に合わせにすぎないと捨て置くのが一般的で,厳しいものが多い。本発表はこのような結果を招いた原因の考察を試みるものである。

Roughing It はそもそも旅行記というよりは主登場人物“Twain”の成長記であり,自伝的語りを大筋の特徴とする点においてTwainの他の4つの旅行記と一線を画している。つまり視点の時間的停滞が前提となる旅行記とは違い,作品の大部分を占める西部体験記において“Twain”は変化を遂げ,その終盤には「イノセント」ではなくなる。一躍全国の読者を勝ち得たThe Innocents Abroad では,終始一貫して「イノセントなアメリカ人旅行者」“Twain”の率直な語りが作品のユーモアの要だった。Roughing It ではその“Twain”像の完成の経緯が描かれる。「東部人」として西部への旅を始めた“Twain”は,西部での生活を経て「西部人」になる。彼のなかで両者はやがて融合し「アメリカ人」としての語り手“Twain”が誕生する。しかしこの人物像の誕生は,Roughing It においては同時に失敗と経験を経た成長に伴う「イノセンス」の喪失を意味する。西部体験記の終わりで記者としても西部生活者としても熟練となった“Twain”は,もはや「イノセンス」を頼みとする笑いの対象になり得ない。その“Twain”がハワイへ渡って再び「イノセント」を体現しようとする。読者としてはまずこの構成上の矛盾に違和感を覚えざるを得ない。

さらに,もとの通信文との比較からいくつかの問題点が浮かび上がる。第一に,西部体験記とハワイ滞在記には執筆時期に相当の隔たりがあることを考えなければならない。また,オリジナルの文章から意図的に消去された特徴や部分--特に,“Mr. Brown”の消去や当地の政治や産業のありさまを報告した社会派記事的な部分の不採用が,実はTwain独特のユーモアにうってつけの要素であり,その一番の利かせどころであったということも考えられる。加えて,前作の外国旅行記The Innocents Abroad で何度も繰り返された,異文化にたいする過剰なほどの期待が裏切られ「幻滅」に至るおかしさを描くような場面が,Roughing Itのハワイの部分ではほとんど見られないということも忘れてはならない。ハワイの“Twain”はむしろ期待通りのものを見,経験している。以上のような条件が揃っていては,The Innocents Abroad で開発したキャラクター“Mark Twain”の旅行記に不可欠なユーモアのセンスがRoughing It のハワイの章でうまく活きないとしてもやむをえないのである。