1. 3.The Waste Land 草稿とダダイズム――Pound改訂を再考察する

3.The Waste Land 草稿とダダイズム――Pound改訂を再考察する

岩川 倫子 東京外国語大学(非常勤)

 

T. S. Eliot(1888-1965)のThe Waste Land (1922)における断片構造は,Ezra Pound(1885-1972)による改訂によってもたらされたものであることはよく知られているが,さらにそこにもうひとつの要素,ダダイズムとの関係を検討するのが本発表の目的である。

Poundの改訂によって,イマジズムの「並置(juxtaposition)」あるいは「重ね合わせ(superimposition)」の技法が取り入れられたものと考えられてきた。Eliotによる草稿はスケッチ風の描写を組み合わせたものであったが,そこから描写の長い部分をPoundが大胆に削ることで,現在のような緊密な並置が生み出された。1971年に草稿が世に出た直後,たとえばGertrude Pattersonの “‘The Waste Land’ in the Making" などは,Eliotが明確にできなかった詩の統一的な構造がPoundによって明確にされたと指摘した。だが,草稿に残されたPoundの形跡は,冗長な描写や重複するイメージを削ったことがわかるだけで,『荒地』について長年言われてきたような,死と再生のテーマや,聖杯伝説といった,いわゆる神話的なモチーフによって統一することをPoundが想定していたという証拠があるわけではない。いや,想定していなかったと考えるほうが妥当である。

Poundは,Eliotの意に反して,草稿の持っていたスケッチ風のゆるやかなリズムを切断し,断片の並置として再構築したにすぎないのである。では,なぜPoundは,このようにThe Waste Landを断片化したのだろうか。その答えは,PoundがThe Waste Landを改訂したのがパリであったこと,その当時すでにチューリッヒで始まったダダの影響がパリにまで及んでいたことと,関係があるのではないだろうか。

ダダ創始者であるTristan TzaraがAndreBretonらに招聘されてパリに渡った翌年の1921年,同じく芸術刷新の志を携えたPoundもイギリスからパリに渡った。パリ・ダダの始まりは,一般にTzaraのパリ移住に始まると言われるが,1918年の “Manifeste DADA”とともに,ダダはすでにヨーロッパ中に広まっていた。1921年は,Tzara到着とともに,パリが最もダダに沸いていたころである。Poundがダダになんらかの影響を受けていた可能性は十分にある。

そこで,パリ・ダダとPoundの影響関係にまで遡及して,『荒地』とダダイズムの接点を検証したい。