1. シンポジアムU(北海道支部発題)(11号館 5階 1152教室)

シンポジアムU(北海道支部発題)(11号館 5階 1152教室)

ドライサーともう一人のアメリカ人作家――その関係から見えてくるもの

司会・ 講師
札幌学院大学 岡崎  清
ドライサーとノリス
講師
東洋大学 村山 淳彦
ドライサーとポー
東京大学 平石 貴樹
ドライサーとショパン
名寄市立大学 小古間甚一
ドライサーとロンドン



アメリカの自然主義文学にまつわる定義は,まことにややこしく,これまでAmerican Literary Naturalism, a Divided Stream(1956)を著したCharles Child WalcuttからThe Naturalistic Inner-City Novel in America (1995) のJames R. Gilesあたりまでを区切ってみると,その間にDonald Pizer,Richard Lehan,Lee Clark Mitchell,Michael Davitt Bell,June Howard,Walter Benn Michaelsなどの面々がそれぞれに独自の定義づけをして論を展開している。歴史的に19世紀の産物としてみるのか,Walcuttのいう「変幻自在な性質」(the protean nature of American naturalism)を援用したPizerが説いたように,自然主義小説は時代とともに,そのときどきの哲学的・科学的思想と結びつきnaturalistic fictionとして命脈を保っているのか,など狭義と広義の幅をもつ。それゆえ(アメリカ)自然主義というタームを用いるときは細心の注意が必要だろう。けれども,さしあたってはTheodore Dreiserがアメリカ自然主義作家の横綱でSister Carrie (1900)を嚆矢とし,An American Tragedy (1925)においてその頂点を極めたといういまの教科書的な文学史の定説に従い,さしずめStephen CraneやFrank Norrisあたりが短命に終わったこともあり,同様に不惑で他界したJack Londonとともにドライサーの脇を固める大関なのだろう。また,初期自然主義作家の要素を備えたKate Chopinにも注目する必要があろう。ただ,自然主義というタームにまとわりつく単純なイズムでこうした作家を裁断してしまうならば,彼らの作品のなかに潜んでいる詩的言語なり,決定論を越えた言説なりを見落とすことになるだろう。クレインだけは別格でニューヨークのバワリー地区の環境を問題にしたMaggie:A Girl of the Streets (1893)を出発点としながらも(その意味では自然主義)彼の詩作によって印象主義とかモダニズムなどの関連で,すなわち自然主義から離れた地平で批評されてきたことは知られるとおりである。彼らのひと世代前のWilliam Dean Howellsがアメリカ小説にリアリズムを誘導する旗頭として「運動」を推し進めていたのとは違って,次の世代の彼らは自然主義を「運動」としてまとまって一派をなしていたわけではないが,共通しているのは世紀転換期の知的思想的混乱ともいえる文化状況のなかで,彼らが真摯に作中人物の個々の人間をとおして「真実」を描こうとしたその姿勢にあるのだろう。では彼らの見出した真実とは何か。どのように描いたか。彼らはどこに行こうとしていたのか。ノリスが「文体ではなくライフ」こそ重要だと言ったとき,また「我々は文学が欲しいのではない,我々はライフが欲しいのだ」と言ったとき,そこで否定されているものは,ライフのない文体であり,ライフのない文学を指しているだけのことである。

シンポジウムは,ドライサーの考えたライフがアメリカ合衆国や地球を飛び越えて宇宙にまで考察を広めた彼の軌跡をEdgar Allan Poeとの関連で語っていただく村山淳彦氏,ショパンのThe Awakening (1899) をドライサーのSister Carrie より早く出版された事実とその内容をめぐる問題を文学史上の位置づけから語っていただく平石貴樹氏,ロンドンのauthorshipをめぐる自己戦略をドライサーとの対比で語っていただく小古間甚一氏,ノリスの描く「性の神秘」とドライサーのそれとを考察する岡崎の四名による。いずれもドライサーを主とするか従とするかのアクセントの違いがあることをご了解いただきたい。


(岡崎)



札幌学院大学 岡崎  清


フランク・ノリスがセオドア・ドライサーの『シスター・キャリー』(1900)の出版に尽力したことはつとに知られたアメリカ文学史のエピソードである。ふたりの代表作をとりあげるならば,さしずめノリスの『マクティーグ』(1899)がドライサーの『シスター・キャリー』にあたり,『オクトパス』(1901)が『アメリカの悲劇』(1925)に相当するといえようか。けれども世紀転換期の小説『オクトパス』と『アメリカの悲劇』との間には決定的に大きな時差があり,この時差を歴史に還元して両作品を語ることは比較的容易だろう。まかり間違えば,ノリスの評論などを読めばわかるとおり,アメリカ帝国主義の片棒を担ぐホワイト・アングロ・サクソンの男性中心主義者としてドライサーとまっこうからぶつかりあうといった水と油の関係を指摘する羽目になり,ノリスの文学評価としてはまことに分が悪い。本発表ではおもにノリスが文学創造するさいに意識していたひとつ「性の神秘」(mystery of sex)を媒介項にして,新しい小説を開拓した魁のひとりとしてのノリス像をドライサーとの比較検討をしながら提示してみたい。


東洋大学 村山 淳彦


ドライサーとポーとの関連性とか類似とかの話題は,想定外や意外性に頼ったあざとい受け狙いにすぎないと思われる向きもあろうが,それがそうとも言いきれないということについては,近年いくつかの機会にささやかな形ではあれ,書いたり,しゃべったりさせていただいたので,ドライサーがポーへの私淑を何度も表明し,ポーの手法を意識的に取り入れたこと,とりわけ人格の多重化や異常心理の描写にポーに学んだ形跡が認められること,「超自然的な事柄」を扱うドライサーの戯曲にポー的な表現主義があらわれること,ともにフラヌール的な審美主義者のスタンスを衒うことなど,そのあたりのところぐらいはこのシンポジウムにご出席の方々には一応了解されていると,僭越にも前提させていただき,さて,それではこれまで紹介してきた両者の類縁性以上に,今回のシンポの席で語るべき話題がまだ残っているのかとなれば,文章に書くのとちがって,シンポジウムなどという場において口頭で語るにふさわしいかどうかはさておき,ここは思い切って両者の宇宙論とか思想などといった次元に相渉ってみようかなどと,あられもない方向へついおびき出されてしまうような気がしている。ドライサーもポーも,あたかも作家経歴の究極の目標が宇宙論の構築にあったかのごとく,それぞれ晩年に近づくにつれて宇宙論の執筆にとりつかれたという事実は,ある程度知られているにしても,いずれも宇宙論というにはあまりにも邪道の著作を遺したことについては,まあ,宇宙論とはどんな場合でも所詮トンデモ本にならざるをえないと言ってしまえば,それぞれの宇宙論は一見宇宙論でないように見えて実は宇宙論本来のあり方を呈していると見なすこともできよう。とにかく,ドライサーもポーも妙ちくりんな宇宙論を書いたというだけで,両者の関連は浮かび上がるはずだけれども,それを指摘するだけではあまり納得を得られまいから,それぞれの宇宙論の内容に多少は立ち入って比較検討することにより,この類似性からもう少し何が言えるか考えてみたいと思っている。


東京大学 平石 貴樹


ドライサーとショパンは,ともに自然主義時代の作家であるが,批評的関心のへだたりからか,あまり結びつけて議論されることが多くなかった。ショパンを自然主義に位置づける場合でも,「本能」や「欲望」などの語彙に,通りすがりの注意を向けることが,これまでの常道だったように思われる。だが,『シスター・キャリー』は,単なる自然主義小説ではなく,「気分」と「感覚」にしたがって生きる現代人を描いた点で,二〇世紀小説の起源の一つと考えられる。そうであれば,おなじように「気分」「感覚」を重要視したショパンの『目覚め』は,ドライサーとの重要な共通点によって,やはり起源の地位を獲得する資格を有するだろう。しかもそうなると,「気分」と「感覚」は,ときおりドライサーに即していわれているような,資本主義社会の消費者の欲望や衝動,といったものに直に結びつけて説明されるのではなく,もっと本格的,全面的な人間像の変化(現代化)によって説明されねばならない。そしてその変化が,あらためて現代社会の様相に還元されるべきものであるとすれば,『目覚め』のエドナがブルジョワ夫人であったことが,重要な設定上の要素として,あらためて注目されねばならないのかもしれない。……というような小説史の整理を,これら二冊の作品をめぐって試みることによって,両者の共通の,格別な意義を確認することが,ここでの当面の目標ということになる。


名寄市立大学 小古間 甚一


1870年代に生まれたドライサーとロンドンには共通点がいくつかある。彼らは共に1890年代に作家修業時代を迎え,1900年に本格的な作家デビューを果たした。労働者階級出身の2人は,貧しき者たちに視線を投げかけ,資本主義社会の諸問題を小説に描きこんだ。しかしながら,彼らのことを調べていくうちに興味を持ったのは,ドライサーとロンドンの作家業である。特に,デビュー後の10年間を見ると,彼らは対照的な作家人生を送っている。彼らの作家修業時代とも言える1890年代は,アメリカ作家による小説の商品価値が高まり,市場で売れる文学を出版社が求めるようになった時代であり,作家が,富と名声を手に入れることができる,男性にとってのあこがれの職業になった時代でもあった。「雑誌というのは商業主義で動いている」と喝破するロンドンは,成功を求めて果敢に市場への接近を試みた。東部の文芸雑誌Atlantic Monthly で短編作家として本格的にデビューした後,短編や長編を毎年発表し,「アメリカ文学で初のミリオネアー作家」となる。他方,ドライサーは成功を求めて市場への参入を試みながらも,Sister Carrie の売れ行きがいまひとつ振るわず,神経衰弱に罹る。その後,雑誌の編集などの仕事に就きながら第2作を世に出すまでに10年以上の歳月を費やすことになる。小説を書くという行為は,商業主義にとらわれない芸術活動なのか,それとも商品を生産する労働なのだろうか。小説をどのように文学市場に出すか。作家と市場とはどのような関係にあるべきなのか。1900年に作家として本格的なデビューを飾ったドライサーとロンドンは,文学市場と作家業の問題に絶えず直面しながら,作家としての道を歩んでいくことになった。発表では,まずは,1900年代から1910年代半ばぐらいまでのドライサーとロンドンの作家人生に焦点を当てて,当時の文学市場と彼らの作家業について話をしてみたい。そして,文学が商業化されていく中で独特の芸術至上主義を貫くことで市場の力に対抗していったドライサーと,名前を売ることで市場での力を獲得しようとしたロンドンという比較を通じて,最終的には,作家業についての伝統的な概念までも崩していったロンドンについて報告することになると思う。