1. 第4室(11号館 6階 1163教室)

第4室(11号館 6階 1163教室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容

1.セッションなし

中川 千帆

2.John Irvingの小説における親子関係

  赤間 荘太 : 北海道大学(院)

中谷  崇

3.境界を司る者―トリックスターとしてのCharles Bon

  島貫香代子 : 京都大学(院)

4.帝国の経済学 ――William Faulknerとスノープシズム

  山本 裕子 : 京都ノートルダム女子大学



赤間 荘太 北海道大学(院)

 

本発表では,John Irvingの作品における親と子の関係を,書くという行為と結び付けて考察をしていく。彼の作品の中の多くの主人公は孤児であるか,もしくは片親のみしか持っていない。また,子は親の思想に対しては異なる意見を有しているが,親の死後になってそれを受け入れ,親の分身のように機能をするという特徴がある。

Irvingの家族観についてはDesmond F. McCarthyやSusan Gilbertなどが考察をしているが,特に作品の中の親と子の関係について詳細に分析をした論文は驚くほど僅少である。本発表ではその関係について,Harold BloomがIrvingの代表作であると述べた三作品,The World According to Garp (1978), The Hotel New Hampshire (1981), 及びThe Cider House Rules (1985)を用いて検証をしていきたい。

Irvingの小説においては,両親と子という関係よりも,片親と子という一対一の関係が描かれることが多い。The World According to Garp では主人公Garpの父親は母親であるJennyにとって出産のための道具に過ぎず,彼は子を残した直後に死亡している。The Hotel New Hampshire の母親は飛行機事故により死亡をして,主人公Johnには父親のみが残される。The Cider House Rules において,Dr. Larchは孤児であるHomerにとって疑似的な父親となり彼を自分の後継者となるように育てようと試みている。

親と子とつなぐ鍵として重要なのが,書くという行為である。子をもうけることと書くことは,どちらも自らの生物学的/文化的な分身をつくるという生産的な行為である。また,小説を生み出すという行為も,Irvingの小説の親子関係と同様に片親と子(作者と小説)という一対一の関係である。The World According to Garp においてはGarpとその母親が作家であり,二人はその執筆活動を同時に開始している。The Hotel New Hampshire では,次男のJohnが語り手として理想主義者である父親を描き続ける。また,The Cider House Rules ではDr. Larchのジャーナルが彼とその養子であるHomerをつなぐ重要なカギとなっている。

本発表では,John Irvingの小説における親子関係を書くという行為と結び付けて分析をし,さらに作者の伝記的な事実などを考察することにより,作家としてのIrving像を新たな視点で検証をしていく。


島貫香代子 京都大学(院)

 

ハイチ生まれでニューオーリンズ育ちのCharles Bonは,William FaulknerのAbsalom, Absalom! (1936)で特異な位置を占めている。語り手たちの誰もが実際には見たことのないミステリアスなBonの存在は,Thomas Sutpenの物語を再構築する上で,彼らの想像力/創造力をかき立てた。

Bon,ハイチ,そしてニューオーリンズに関する従来の研究では,アメリカ帝国主義の歴史が主に焦点となってきたが,本発表では,奴隷貿易を通じて西アフリカからハイチやニューオーリンズへと伝わったブードゥー教との関連性からBonの存在について考察してみたい。従来の研究でもブードゥー教はアメリカ帝国主義やハリウッド映画産業とともに論じられてきたが,Bon自身がブードゥー教との関わりで論じられることはあまりなかったように思われる。そこで本発表では,Bonがブードゥー教のトリックスターであるレグバ(別名エシュ・エレグバラ)に類似した役割を担っていることに注目し,Bonの新たな一面を探ってみたい。後年のFaulknerの言葉を引用するならば,トリックスターとしてのBonは「アクチュアルなものをアポクリファルなものに昇華させた」存在なのである。

社会の秩序を混乱させる「いたずら者」であるトリックスターによって閉塞した状況や場が破壊されると,そこに変容や創造が生じ,新しい秩序や価値観がもたらされる。しかし,いくらトリックスターが行動を起こしても,周囲の人々がその変化を受け入れなければ,トリックスターは「厄介者」や「破壊者」として非難されるだけに留まる。優雅で洗練されたクレオールから黒人の血が混じっている可能性のあるSutpenの息子へと語り手たちの間で変化するBonは,他の登場人物たちの価値転換をうながすきっかけとなりうる存在だった。しかし,近親相姦には目をつぶっても人種混淆を受け入れることができないSutpenのもう一人の息子Henryによって,Sutpen荘園の門で射殺されることになる。

門や入口はまた,ブードゥー教のレグバにとって重要な意味を持っている。トリックスターとして知られるこの神は,十字路に住み,街道や扉,神の世界と人間社会の境界と考えられている場所を司る。境界に位置し,「男」と「女」,「中心」と「周辺」,「秩序」と「混沌」などの相反する要素を包含する両義的な存在であるレグバは,性的・人種的・場所的な位置づけがきわめて曖昧なBonを連想させる特徴を備えていると言えるだろう。本発表では,Bonとレグバのふるまいを比較検討することで,Bonの存在が体現する「境界性」に関する考察を深めていきたい。


山本 裕子 京都ノートルダム女子大学

 

米西戦争の1年前に生を享けたWilliam Faulknerは,1920年代に作家として歩み始め,1930年前後には後年傑作と称されることになる一連の「モダニスト」的作品群を生み出した。長い年月をかけて出版されたスノープス3部作――The Hamlet (1940), The Town (1957), The Mansion (1959)――の出発点も,Father Abraham 執筆に着手した1926年の冬に遡る。

20世紀初めの20年間といえば,アメリカは空前のリンカーン・ブームに沸いていた。ケンタッキー州の小屋からホワイトハウスへ上り詰めたAbraham Lincolnの「記憶」は,Horatio Alger風の立身出世を体現する存在として一般大衆に消費される商品となっただけでなく,1920年代のアメリカの「文化的記憶」(あるいはRaymond Williamsのいう“structure of feeling”)の変容を示している。「帝国の時代」(“the Age of Empire”)として知られる19世紀末から20世紀初頭の米西戦争前後,アメリカは急速な資本主義化を推進すると同時に,ハワイ,グアム,プエルトリコ,フィリピン等の海外領土を獲得し,世界への進出に政治経済の両輪で邁進していた。スペインとの戦争は,南北戦争以降の「分裂した家」を再結合し,金融帝国としての生まれ変わりを促進した。ナショナリズムの勃興とともに,アメリカの文化的記憶は「帝国」として新たな一歩を踏み出した自国の建国神話に修正を加え,Lincolnを南北統合の象徴,新しい帝国の父としたのである。

スノープス3部作で描き出されるFlem Snopesの興亡物語は,Lincolnの人生と,そしてアメリカ帝国主義の歴史と奇妙な符合を見せる。“Ab” Snopesの「長男」である彼は,Frenchman’s BendからJeffersonへ移住し,最終的には銀行の頭取に上りつめ「館」に住むまでになる。本発表では,アメリカン・スタディーズの研究成果を援用して,彼の金融帝国の興亡物語をアメリカの新しい寓話として読む。発表の目的は,スノープス3部作に通底する帝国と経済と性の交差点を浮き彫りにすることにある。「国家」という言葉が「国=家」というアナロジーを示すように,建国と子育て,帝国と経営,生産と出産は複雑に絡み合う。帝国の歴史とSnopeses との相関関係,Gavin StevensとEula Varner Snopes及びLinda Snopes との関係を議論の中心に,最終的には「スノープシズム」に映りこむ「アメリカ的不安」(“American anxiety”)を明らかにしたい。