1. プライバシー境界のゆらぎ―近代ジャーナリズムと The Reverbrator

プライバシー境界のゆらぎ―近代ジャーナリズムと The Reverbrator

島根大学 中井 誠一

 

ヘンリー・ジェイムズは極めて韜晦的な作家であるが,それは作品を何重にも覆っている謎めいたベールがしばしば読者の鑑賞を妨げているということからだけでなく,自らの人生という彫刻に施した分厚い化粧漆喰が人物像の把握を困難にしているということもある。たとえば,"The Aspern Papers"で描かれた,あらゆる手段を弄して有名作家の手紙を手に入れようとする文学研究者の行動は,ジェイムズにとって,プライバシーの境界を越える象徴的な事例であり,私生活におけるプライバシー侵犯への不安が窺われるモチーフである。実際,ジェイムズは自らの私生活の一部が死後において漏えいすることを恐れたのか,Constance Woolsonとの間の書簡を破棄していたという周知の事実もある。しかし,Aspernの手紙の探索,あるいは "The Figure in the Carpet"におけるGwendolenの作品のテーマを巡る探求の顛末は,逆に言えば,秘められた真実を探り,それを大衆/読者の前に提示することがジャーナリスト/文学者の本質であることを,ジェイムズが痛切に感じていたことを暗示するものでもある。こうしたプライバシーの問題を真正面から扱ったThe Reverbrator (1888)において,新聞記者George Flackは,Francinaを誘導してProbert家の内実をしゃべらせ,それを自分の新聞で暴露することによって,彼女とGastonとの婚約を解消させようとした利己的な人物という評価が一般的である。しかし,Flackの記事内容は明確にされていないが,一旦「真実」を知った新聞記者という立場に立てば,それを封殺してしまうことは,ある意味でジャーナリズムの本義に背く行為であるともいえる。

Samuel D. WarrenとLouis D. Brandeisが"The Right to Privacy"(1890)でプライバシー権を初めて定義したように,作品発表当時は,まだプライバシーの概念自体が確立していなかった。一方で,近代資本主義の発展に伴い,新聞・雑誌の部数は飛躍的に伸び,広告収入と購読者を獲得するため,扇情的な記事合戦を繰り広げるYellow Journalismを迎えようとする時代でもあった。ジャーナリズムとプライバシーという,現代にも通じるテーマを扱ったこの作品は,当時のプライバシー境界のゆらぎを微妙に反映していると思われる。そして,単なる境界侵犯への憤慨や不安ということだけでなく,それを超えたジェイムズの,その時代,そして未来に対する,作家としての戦略を読み取ってみたい。