1. 4.Tennessee Williamsと前衛

4.Tennessee Williamsと前衛

戸谷 陽子 お茶の水女子大学

 

2011年3月9日はTennessee Williams生誕100年にあたり、これを記念して今年は全米に限らず、世界各地で多くのWilliams作品が上演され、関連する催しが企画されている。1945年The Glass Menagerie、1947年A Streetcar Named DesireのBroadwayでの成功以来、Williamsの戯曲作品は全米各地で恒常的に上演され、また、大学では文学および演劇のテクストの定番となっており、20世紀アメリカを代表する劇作家としてのWilliamsの一般的な評価はゆるぎない。この評価はしかし、主に1940年代から50年代の限られた期間にかけて商業的な成功を収めた限られた作品に対してであり、晩年の作品のみならず、存命中のWilliams自身にも多くの批判が向けられたことも事実である。

Williams作品の上演の多くがその詩的な言語や抒情性に着目し、またBroadwayでの上演が代表するようないわゆる古典作品テクストの「再現」を目指してきたいっぽうで、1980年代後半以降、テクストを徹底的に「解体・脱構築」する上演が、いわゆるオルタナティヴ演劇に散見するようになった。生誕100年を記念し、とくに今年のニューヨーク市内では前衛演劇人によるパネルおよび上演がシリーズで企画されるなど、この傾向がさらに盛り上がっている。前衛の演劇人たちがWilliamsに興味をもつ背景には、彼らが上演において浮上するWilliams作品がもつ別の側面、すなわち、詩的な言語や抒情性の過剰さが生み出すキャンプ性や、クィアなセクシュアリティと身体性の表象、テクストの複層性に潜む体制転覆的な要素を興味の対象としていることが挙げられる。1990年代以降活発化したクィア批評により、こうした経緯は理論的にも確認されてきており、20世紀末から21世紀にかけて、Williamsテクストのもつ可能性の議論が大きく進展しているともいえる。また、Williamsの政治性やキャンプ性は、Marlon BrandoやPaul Newman、Vivian Leighといった映画作品の登場人物のイメージによって大衆に定着したが、近年のWilliams作品の上演に際しては、しばしばスクリーンのイメージが観客に共有されていることが前提となっているという事実も興味深い。

Williams作品のもつこうした新たな解釈の可能性をさらに検証するため、本発表では、生誕100年の今年展開された前衛演劇人によるWilliams作品上演の中でも、とくに「解体」が顕著な前衛作品Wooster GroupによるVieux Carré (Elizabeth LeCompte演出)、A Streetcar Named Desire(Lee Breuer演出)の上演テクストを主に参照しつつ、Williams作品のもつ前衛について考察する。これらの現代の前衛演劇人たちは、共通して高度なテクノロジーを駆使し、Williamsの時代には想像もできなかったような新たなイメージを供給するが、かつて人々の社会的現実の認識に大きく影響を及ぼし、また芸術文化の生産システムを大きく変え、消費文化のそれへと確立させる役割を担った映画という媒体とも比較し、新たな時代のWilliams作品上演の可能性を考察する。