1. 3.アメリカへ渡ったキャリバンの子どもたち――Elizabeth Nunez作品にみるカリブ移民をめぐる諸相

3.アメリカへ渡ったキャリバンの子どもたち――Elizabeth Nunez作品にみるカリブ移民をめぐる諸相

岩瀬 由佳 東洋大学

 

キャリバンは、シェイクスピアの『テンペスト』においてプロスペローに悪態をつく醜悪な半獣人として描かれているが、それをコロニアリズムの観点で読み解くとき、プロスペローとキャリバンは、「支配者」対「被植民者」にしばしたとえられる。本発表では、エリザベス・ニュネッツ(Elizabeth Nunez)のGrace (2003)をもとに、「キャリバンの子どもたち」である旧イギリス植民地出身のカリブ移民たち、特にアフリカ系カリビアンがアメリカへ移住した際に直面する諸問題に着目しながら、そこに複雑に絡み合う人種とエスニシティ、ジェンダーギャップに関して考察する。

旧イギリス領トリニダード・トバゴ出身の主人公ジャスティン(Justin)は、若き日に故郷を離れてハーバード大学で学び、ニューヨークの大学で英文学の教授の地位を獲得した知的エリートである。移民でありながら、ブルックリンに瀟洒な家を所有し、アフリカ系アメリカ人の妻、小学校教師のサリー(Sally)と幼い娘とともに安定した暮らしを送っているかにみえる。しかし、突然、夫婦の間に軋みが生じる。それは、一見したところ倦怠期にさしかかった夫婦のありふれた出来事のように思われるが、その根底には、二人の間に顕在化した緊張感をともなう差異への相互理解の難しさが潜んでいる。Jane Junnが「アメリカにいるアフリカ系カリブ移民たちは、黒人ではあるがアフリカ系アメリカ人ではない。要するに移民で黒人なのだ」と指摘するように、両者にはアメリカ社会の中で同じ黒人同士であるという連帯感を築けないばかりか互いに対立し、排除しあう緊張感をはらんでいるのだ。KKKに父親を殺害され、家庭を崩壊させられた過去を背負うサリーの体験した人種差別の暴力とジャスティンが祖国で経験した植民地主義の抑圧はやはり異質なもので、サリーの痛みを本当の意味で分かち合うことはできないばかりか、必要以上に傷つけあってしまう。教育によってアメリカ黒人たちの生活を向上させようとするジャスティンの意図もなかなか報われない。それに加え、「自分のための空間が欲しい」「妻であり、母親であるだけでは満ち足りない」と訴えるサリーに対して、「なぜ現状に満足できないのか」と妻を理解できないジャスティンには、実のところ父権制の枠の中に妻を囲い込みたいという彼の欲望、妻の才能への羨みが隠れている。それは、彼の教え子であり、男のホモソーシャル/ヘテロセクシャルな体制論者であったアフリカ系アメリカ人男子学生が、同性愛者に恋人を奪われたショックから自殺未遂を引き起した事件によって、大きな揺さぶりをかけられることになる。女同士の絆に恐れをなす男たちといった具合に。

ジャスティンと同様にトリニダード出身のカリブ移民であり、小説家として、ニューヨーク市立大学教授として、アメリカを活躍の場として選んだニュネッツ自身も、アメリカに渡った「キャリバンの子ども」のひとりである。これまでの彼女の作品では、男女の愛情関係よりも女性同士のシスターフッド的な関係に重きを置いてきたが、本作品では、敢えて男性の目から語り、男女間の不和から和解へとたどる道筋のなかに21世紀のカリブ移民とアメリカ社会の新たな展開の示唆を読み取ることができる。