1. 4.顔と戦闘――Hemingway、Ivens、ポリティカル・スペイン――

4.顔と戦闘――Hemingway、Ivens、ポリティカル・スペイン――

塚田 幸光 関西学院大学

 

“Fascism is a Lie” ―1937年6月、第2回全米作家会議。Ernest Hemingwayは、ここで政治的「転向」を宣言する。Edmund Wilsonが批判したノンポリ・ハンター/ライターは、スペイン内戦を経て、政治的作家へと変貌を遂げるのだ。これ以降、Hemingwayは、内戦のダークサイドを様々な角度から描き、急速に左傾化することになる。To Have and Have Not (1937)、The Fifth Column and the First Forty-Nine Stories (1938)、そしてFor Whom the Bell Tolls (1940)。或いは、“The Denunciation”などのスペイン短編群、共産党系新聞New Massesや左派系雑誌Kenへの接近、北米新聞連盟(NANA通信)の特派員活動等をふまえれば、Hemingwayの変貌は顕著であり、疑いようがない。これらは、“Fascism is a Lie” 宣言の延長線上にあり、それ以前のスタイルとは一線を画すからだ。だが、ここで我々は、ある疑問を抱くべきだろう。彼はスペインで一体何を見て、何を体験したのだろう、と。

二種類の「ゲルニカ」。Hemingwayとスペイン内戦の関係を探る上で、このキーワードは興味深い指針となる。Pablo PicassoのGuernica (1937)とHemingway/Joris Ivensのドキュメンタリー映画The Spanish Earth (1937)。絵画に描かれるゲルニカの惨劇、或いはThomas Waughがメタファーとして述べるイタリア軍の爆撃フィルム。この二種類の「ゲルニカ」は、ファシズムへのプロテストとして、モダニズム芸術の政治性を前景化させるだろう。芸術は内戦を活写し、反ファシズムのプロパガンダとなる。1930年代後半とは、モダニズムがファシズムの洗礼を経て、政治化する時代ではなかったか。この時代、芸術は政治化し、政治は芸術を包摂したのだ。この依存関係は、例えば、迷彩をキュビズムに例えたPicassoに限らず、ナチスとLeni Riefenstahlの関係を見れば明らかだろう(ナチスのメディア政策とは、文化のデータベース化を目論んだRooseveltのニューディールにも酷似していたはずだ)。大戦前夜の政治的磁場において、当然のことながら、Hemingwayも自由ではいられない。ジャーナル、フィルム、そして小説。彼は複数のメディアを通じて、スペインの現実を問う。Hemingwayの「スペイン」―それは、メディア・ミックスから見えてくる政治性の別名である。

本発表では、上記のような政治的状況を整理しながら、Hemingwayの変貌の軌跡を辿る。ここで注目するのは、先にも触れた共産主義者/映画監督Joris Ivensである。彼はHemingwayにスペインを体験させ、共同で映画を撮る。The Spanish Earthが捉える暴力の極致としての「戦闘」、そして人間の尊厳と狂気が表出する「顔」。文学とは異なるレトリックで、内戦という現実が活写されるのだ。さらに言えば、NANA通信が、The Spanish Earthと同時並行的に書かれた事実も忘れるべきではない。紙面/フィルムに「リアリズム」を掬い取る仕事は、一見、フィクションの対極だろう。だが、このジャーナル/ドキュメンタリーを経由することで、Hemingwayのフィクションは、For Whom the Bell Tollsで再び息を吹き返す。我々はそのプロセスを辿り、Hemingway文学の転換点、或いは、文学の政治性を再確認する必要があるだろう。