1. 4.デラーノ船長のマサチューセッツ―― “Benito Cereno”と奴隷解放論

4.デラーノ船長のマサチューセッツ―― “Benito Cereno”と奴隷解放論

高橋  勤 九州大学

 

Robert Burkholder によって編纂された Critical Essays on Herman Melville’s Benito Cereno (1992) は、Melvilleのこの中編の批評の系譜をきわめて明確に規定している。そこにおいて問われているのは、奴隷制という社会的な文脈における作者 Melvilleの立つ位置であり、このテキストがもつと思われる政治的な意図であった。南北戦争前夜ともいえる1850年代中盤に発表され、奴隷船上の反乱というきわめて刺激的なテーマを扱った作品だけに、その政治性に議論が集中したのであろうし、Burkholderの編集の意図が新歴史批評の枠組みのなかに囚われていたことも事実であったろう。

いっぽう、この作品とマサチューセッツとの関連性は従来顧みられなかったように思われる。マサチューセッツ州西端ピッツフィールドで執筆を続けていたMelvilleは、ボストンやコンコード周辺を中心として繰り広げられた奴隷解放運動、あるいは逃亡奴隷の拘束に対する熾烈な攻防をどのような視点から眺めていたのか。義父Lemuel Shaw がマサチューセッツ最高判事として、逃亡奴隷 Thomas Sims の拘束に対する判決に関わっていた事実と、Melvilleの政治的な立場とは関連があったのだろうか。あるいは、歴史上のDelano船長がマサチューセッツ出身であること、そしてその事実と作品中のデラーノ船長の人物描写とは無関係であったのだろうか。

こうした問題を考えるうえでヒントとなるのが、Melvilleと親しい関係にあったNathaniel Hawthorne の奴隷制に対する視座、あるいはピッツフィールドにおけるMelville の隣人Oliver Wendell Holmes の視点であったと思われる。Melvilleがマサチューセッツにおいて熾烈化する奴隷解放運動にいかに向き合おうとしたのか、そして”Benito Cereno”という作品のなかにマサチューセッツの社会状況がどのような影を落としていたのか. そうした問題をより具体的な社会的コンテクストあるいは人間関係の脈絡において考察する必要はなかっただろうか。

従来、Melvilleのこの作品の政治性は、奴隷制度をめぐる北部と南部の対立、あるいは黒人奴隷に向けられた差別言説というような漠然とした観点から論じられてきたように思われる。奴隷の蜂起という問題についても、Amistad号事件、あるいはNat Turnerの反乱や西インド諸島の黒人蜂起などより普遍的なテーマの観点から論じられてきたように思われる。本発表では、むしろ、1850年代のマサチューセッツの政治状況を浮かび上がらせることで、Melvilleの作品が投射した政治性について考察してみたい。