1. ワークショップT(50周年記念企画・本部発題)(D401教室)

ワークショップT(50周年記念企画・本部発題)(D401教室)

一次資料調査の面白みと苦心

司会・発表者
慶應義塾大学 宇沢 美子
知的無駄遣いのすすめ
発表者
早稲田大学 石原  剛
「ロスト・イン・インフォーメーション」
一橋大学 越智 博美
一次史料調査のおもしろみと苦心
同志社大学 藤井  光
現代文学と一次資料研究



日本アメリカ文学会50周年を記念する本企画では、4人の研究者によるアーカイブ資料研究についてのトークセッションを行う。各々の研究者の汗と涙と笑いの実体験が他の研究者の参考になればと願う。



宇沢 美子 (慶應義塾大学)

 

アーカイブ資料の多くは図書館等の書庫に眠っており、その資料を大量にひもとくにはやはり、ラップトップ・コンピューターやカメラ持参で自分でそこに行ってみるしか手がない。時間も労力も費用もかかる上、徒労に終わる可能性は常につきまとう。アーカイブ資料研究はそういう意味では、この多忙な現代におそろしく逆行する回り道、知的無駄遣いにはちがいない。ところが、無駄と思われるものから創造的な研究が始まることもある。まったく別のアーカイブ資料研究に失敗したところから、私のお笑いゲリラの疑似日本人「ハシムラ東郷」の発掘も始まった。積極的に無駄を楽しむこと、得た情報を必ず資料として残すことをはじめ、資料発掘のティップスを、できるかぎり具体的にご紹介したいと思っている。


石原  剛 (早稲田大学)

 

ネットの急速な発展により、自宅に居ながらにしてワンクリックで太平洋の彼方にある貴重な資料を目にすることが出来るようになった。「資料が手に入りませんでした」というかつての「決めゼリフ」は、今日、急速に「逃げゼリフ」と化しつつある。しかし、光速並みのスピードで進歩する情報社会の只中にあって、果たしてどの情報が真の意味で役に立つのかもはや分からなっていることも事実。クリックを重ねても目当ての資料には届かず、まるでワンクリック詐欺にでもあったような悲哀を感じさせられることも多い。そこで本発表では、携帯メールすら満足に扱えない私のようなマニュアル人間でも利用可能な情報ツールや、各種アーカイブを利用する上での注意点などについて、私が経験した悲喜交々のエピソードも散りばめつつ、ざっくばらんに話していければと考えている。


越智 博美 (一橋大学)

 

以前から南部農本主義者が、新批評家として戦後のキャノン生成に深く関わったことに興味を持っていました。また同時に自分の読書体験が「戦後的」(すなわち『赤毛のアン』を愛し、図書館の偉人伝(=アメリカ人多し)を読む)であったこと、またそれが母から伝わるものであったことも気になっていました。そんなことを問題意識として持っていたある日、農本主義者が戦後の文化政策にどうかかわったのか、実地に調べてみたくなってNational Archive(NARA)に無謀にも出向き、途方に暮れていたときに見つけて、直接になにも関係なさそうでありがら、目が離せなかった資料から、今回ご紹介するGHQの図書館の本のラインナップを読むという研究ははじまりました。何かお役にたてることがあるとすれば、無謀かもしれない調査で、まったくのハズレに思えても何かあることもあるかもしれないということ、最初のアプローチの仕方、戦中と戦後すぐのことであれば国会図書館が実は役に立つことなどのインフォメーションでしょうか。


藤井  光 (同志社大学)

 

現代文学という分野においては、一次資料へのアクセスそのものは大きな問題とはならないケースがほとんどである。むしろ、日々新たな文学テクストが出版され、amazon.comをはじめとする経路から入手が容易になっているなかで、批評という文脈で取り上げる一次資料を絞り込むことのほうが困難であるかもしれない。さらに、一つのテクストが発する問いが、他の作家によるテクストに接続されるような、批評の側の裁量に委ねられる余地が大きい手法を用いる場合、一次資料の探索と論考はどのような形態のものになるのか。このような点を、実際の例を交えながら検討することとしたい。そうした議論の先に、「現代的」であるとは何を基準とするのか、ということにも踏み込むことができれば幸いである。