1. 第3室(A306教室)

第3室(A306教室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
水野 尚之

1.市場に憑く幽霊:ジェイムズ小説における贈与について

  加茂 秀隆 : 一橋大学(院)

2.20世紀のマーク・トウェイン――抑圧への対峙

  大久保良子 : 防衛大学校

村山 淳彦

3.The Bulwarkにおける「Barnes家の精神」対「時代の精神」――「別の世界への扉」としてのHester叔母さんの役割

  土屋 陽子 : 名古屋大学(院)

4.大いなる罠に捕らわれて――「夢」から覚めることのないClaude Wheelerの人生の意味

  志水 智子 : 九州産業大学



加茂 秀隆 一橋大学(院)

 

初期から後期に至るまでの長短様々な小説で、Henry Jamesは一貫して(死者との同一視や死者の魂等を含めた)幽霊と贈与を描いており、そこにキャリアを通じての彼の強い関心が示されているように思われる。この二つの主要テーマには何らかの関連性があるのではないのか、こう仮定した場合、これらが示す布置から何が垣間見えるのか。本発表では、主要長編小説ではなく初期と後期の短編小説を中心にこの問題を分析する。アルファとオメガを押さえることで、幽霊と贈与に関するJamesの関心の基底部を効率的に読解可能なように思われるからだ。

“The Ghostly Rental”(1876)や“The Bench of Desolation”(1910)では、収奪された富が市場交換を経て増幅し贈与されて回帰する。同時に、この回帰はある種の取り引きとしても表象されている。贈与と取り引きの不可分な関係、これは「与えつつ奪う」(Derrida)という贈与の本質に適うものだ。このように考えたとき、“The Romance of Certain Old Clothes”(1868)、“The Ghostly Rental”、“The Third Person”(1900)、“The Jolly Corner”(1908)においては、分身・幽霊の発生が、富の回帰と結びついていると言えるのではないだろうか。つまり、自己が自己ではないものとして回帰するという分身・幽霊の発生は、富のある種の贈与として回帰の比喩と考えられるのである。ここでも、市場交換が分身・幽霊の発生の契機にしばしばなっている点は重要であるように思われる。

ここにJamesは何を見ようとしていたのか。表象不可能なもの、正常な表象の外におかれるもの、現実には存在しえないものとしての幽霊が、市場交換を蝶番にして贈与と結び付く理由は何か。資本主義社会の成立期を描こうとしたJamesにとって、市場原理による合理的交換を旨とする資本主義社会に対し、贈与とは市場原理を逸脱する外部だからであり、それが表象不可能な構成的外部として資本主義社会を成立させているからなのではないのか。だが見方を変えれば、贈与という幽霊の発生もまた、あくまでも資本主義市場交換という外部を必要とするによるに思われる。資本主義市場の過熱化や機能不全による幽霊の発生をも、示唆できればと思う。資本主義市場交換は贈与という幽霊に憑りつかれている、Jamesのイマジネーションはそう描こうとしていたのではないだろうか。


大久保良子 防衛大学校

 

Mark Twain(1835-1910)の作品は、20世紀にかかる晩年の作品についてはあまり注目を集めてこなかった。というのも、度重なる家族の不幸や投機の失敗に見舞われた晩年期は、膨大な量の『自伝』マニュスクリプトを残したものの、作品は、ペシミスティックで、リアリズムを逸脱した断片的作品が多く、「想像力が枯渇」した時代として長らく捉えられてきたからである。一方で近年、晩年期の未発表作品の発掘や、伝記、マニュスクリプト研究が進み、Mark Twainのポピュラー・イメージを揺るがす晩年のTwain像が注目を集め始めている。伝記研究ではことに、晩年のTwainを取り囲んだ女性たちとの「スキャンダラスな」関係にスポットがあてられ、年老いてなおいっそう、近しい女性たちの愛情を独占し続けることを望み、意のままにならぬ現実を前に、嫉妬に狂うほどに縛られたさまが照射される。

このような晩年期に、そもそも女性や性の描写に関しては非常に保守的な作家であったTwainが、これまで作品内で注意深く抑圧・排除してきた性的欲望を自由に表出させうる空間自体を、リアリズムを脱してファンタジーの世界に創造しはじめたことは注目に値する。それは、これまで信じてきた世界を切り崩し、人間の、ひいては自分自身の抑圧した欲望に向き合う文学体験でもあったろう。本発表では、その軌跡を、“Letters from the Earth”(1909)、 “Eve’s Diary”(1905)といった作品に概観したのち、Twain最後の小説、No. 44, The Mysterious Stranger (1969、死後出版)を中心に考察する。

No. 44, The Mysterious Stranger執筆に際し、少なくとも3つの異なるバージョンのマニュスクリプトを残しながらも、Twainは最終的に、コロンブスのアメリカ大陸発見とほぼ同時期のオーストリアという時代設定を選び取り、物語や白人登場人物の随所にアメリカ的また黒人奴隷的要素を散りばめる。そして、時間と空間、自己と他者、人種、生死などあらゆる境界を自在に操る不思議な少年、No. 44との交流によって、16歳の印刷工見習いAugustに新たな世界のありようを見せる物語を創作した。Twainは、No.44を通じて、3つからなる自己――すなわち、様々な束縛を帯びた「昼間の自己」(Waking-Self)、眠っている時の自己で、「昼間の自己」よりはるかに優れた想像力を持つ霊でありながら、No.44により仮の肉体を与えられた状態にある「夢の自己(分身)」(Dream-Self /Duplicate)、「昼間の自己」や「夢の自己」が滅びても生き続ける「魂」(Soul)――をAugustに経験させ、現実には不可能な、憧れの女性Margetとのロマンスを描く。「昼間の自己」のMargetはAugustの「夢の自己」を愛し、Margetの「夢の自己」はAugustの「魂」を愛する、入り組んだ恋愛劇を通じて、Augustはどのような自己の姿を発見し、No.44の示す新たな世界のありように救いと解放感とを見出すに至るのか。現実世界ではさまざまな束縛をうける欲望や身体が解き放たれる新世界を創造する、Mark Twain晩年の想像力のありようを見ていきたい。


土屋 陽子 名古屋大学(院)

 

Theodore Dreiserの死後、1946年に出版されたThe Bulwarkは、敬虔なクエーカー教徒である主人公Solon Barnesの生涯を中心に、その一家の生活を描いた作品である。本作品は、Solonを厳格な宗教者としながらも、Jennie Gerhardt (1911)やAn American Tragedy (1925)の父親像とは異なり、資本主義社会の完全な敗者として描いていないという点、また、人生の悲劇を経験したSolonが自然の中に絶対的な神の存在を再認識するという結末から、自然主義作家Dreiserらしからぬ宗教的な作品であると言われている。また、Lawrence Hussmanも指摘するように、晩年において保守的になったDreiserの人生観の変化を示した作品であると捉えられることが多い。

しかし、The Bulwarkにおいても作品の背景となるのは、他の作品と同様、資本主義社会であり、Dreiserが繰り返し描いてきた「理想主義」対「物質主義」という対立が大きなテーマとなっている。実際、Solonの結婚式を描く作品の「序」には、時代と共に変化した若者たちが「クエーカー主義を圧倒した近代精神に傾倒して、心の中の理想主義をほとんど完全に放棄してしまっていた」とあり、古くからのクエーカーの信仰と時代の流れが相容れない関係にあることが示されている。

本発表では、その対立がどのように描かれ、Dreiserがそれをどう捉えているかを考察する。まず、その対立が、華やかな世界に影響を受ける子供達と、昔ながらの理想主義をもってそれを妨げようとするSolonとの隔たりに示されていることに注目する。そして、理想主義に基づくBarnes家の精神が、物質主義に基づく時代の精神と対立していることをみる。

次に、その対立に介入し、「別の世界への扉」となって時代の精神を子供達に伝える役割を果たしている二人の叔母、Aunt HesterとRhodaの存在に注目する。特にHester叔母さんは、子供達がBarnes家の精神から離れるきっかけを作る存在として重要な役割を果たしている。生涯独身で、女性でありながら男性に意見ができるほどの権力と財産を持つHester叔母さんの描写は、Dreiserがそれまで描いてきたような、性的役割を前提にした「新しい女性」像に比べると異色である。「新しい女性」像は本作品においてもSolonの娘やRhodaに示されているが、Hester叔母さんの示す女性像は、「新しい女性」ではなく、彼女達が登場するきっかけを作った世紀転換期の女性活動家の姿を思わせる。

Dreiserは、そのようなイメージを持つHester叔母さんを時代の精神と結びつけ、作品の最後までSolonに付きまとわせている。Barnes家の精神と時代の精神の対立におけるHester叔母さんの役割を考察することで、晩年においても社会とその変化をありのままに描こうとしたDreiserの変わらぬ態度を明らかにし、The Bulwarkを保守的な作品とする解釈とは異なる読みを提示したい。


志水 智子 九州産業大学

 

Willa Catherのピューリッツァー賞受賞作One of Ours (1922)の中で、主人公Claude Wheelerは、ネブラスカの経済的に安定した農場で育った素朴で感じやすい青年として登場する。西部開拓時代終焉後のアメリカ社会において、Claudeは、兄Baylissが体現するような物質主義と機械文明が支配する日常を嫌う。また父は彼に農場を継がせるが、農場を所有することはClaudeにとっては土地に縛りつけられ、絶望的な日常に捕らわれることでしかなく、幸福をもたらしてはくれない。妻Enidとの結婚にも失望したClaudeは、現在の生活という停滞状態に捕らわれ縛られることを嫌い、そこからの逃避願望と強い生きがいや理想を求めるという上昇志向に常に駆られるが、何の具体的な目的も持たない。このように一つの狭い価値観や生き方に捕らわれることを避け、具体性のない理想を求めるClaudeの姿は、Catherが影響を受けた作家Henry Jamesの代表作The Portrait of a Lady (1881)のヒロインIsabelが結婚前に漠然とした理想を追求する様子を彷彿とさせる。Isabelは早々と一つの結婚に捕らわれることを避け、自由により広い世界を見聞しその上で身を捧げる価値のある使命を見出したいと考えたが、結果的には財産目当ての結婚相手に「捕らわれて」しまったことに気付き、娘時代の漠然とした「夢」から覚めることになる。ところが第一次世界大戦に参加し、祖国や仲間のために命をかけて戦うことに生き甲斐と美学を見出したClaudeは、その絶頂で戦死することで「夢」から覚めることなく生涯を終える。このようにClaudeが「夢」から覚めないことは、はたして彼にとって救いなのか、それとも彼が把握できない程の罠に完全にからめとられたということを意味しているのだろうか。そこで本発表では、戦争に生き甲斐と希望を感じるという「夢」から覚めることのないClaudeの人生の意味について考察していきたい。

Merill Maguire SkaggsはClaudeについて “he has been easily manipulated, is not a thinker.”と評し、彼が運命や偶然に翻弄されその罠にとらえられやすい人物であることを示唆する。また作者Catherが第一次世界大戦にアメリカが参戦することの意義に懐疑的であったことからも、作品中のClaudeの戦争賛美や陶酔ぶりは、ややアイロニカルな含みを持たせて描かれていると考えられる。澄み切った信念を持って死んだClaudeとは反対に、戦後のアメリカは邪悪さが幅を利かせる社会として描かれ、戦場から生還したアメリカの若者が幻滅し自殺することからも、Claudeを魅了した戦争の意義は国家的レベルの大きな幻想であり罠であったと考えられるのである。自分にとって最も魅力的な生き方を全うし、「夢」から覚めることのなかったClaudeの運命は、彼にとっては親切であるが、彼の人生によって、戦争という幻想に夢を託すことにしか希望を見出せないアメリカの限界も描かれる。CatherはClaudeがより大きな人生の罠にからめとられていく様子を描くことで、彼女自身に、さらには同時代のアメリカ人に運命的にのしかかる閉塞感を示唆しているのではないかという解釈を示していきたい。