1. 4.「だれでもないもの」の声が生じるとき――Michael Palmer とIrving Petlinのコラボレーション

4.「だれでもないもの」の声が生じるとき――Michael Palmer とIrving Petlinのコラボレーション

山内功一郎 静岡大学

 

アメリカの詩人Michael Palmer (b.1943)は、1984年に出版された詩集First Figure に、“Niemandes Stimme, wieder” というエピグラフを付している。これは Paul Celan (1920-70) の詩篇 “Ein Auge, Offen” から取られたフレーズであり、英訳すれば “No one’s voice, again” ということになるだろう。それは「だれの声も聞こえない」沈黙の到来を意味していると同時に、「だれでもないもの」の声が「またしても」響き始めることを暗示している。どうやらPalmerの読者は、この極度にパラドクシカルな声を幾度となく耳にすることになるらしい。だがそれにしても、発話者が特定できない「だれでもないもの」の声は、そもそもどのような過程を経て生じることになるのだろうか。そしてその声が果たす機能とは?

今回の発表では、Palmerとコラボレーションを行った画家の作品画像を映写しながら、詩人自身の作品にも触れることによって、上に述べた問いの答を求めることにしたい。とりわけPalmerと長年に渡り親交を結んでいるIrving Petlin (b. 1934) の諸作品に、焦点が当てられることになるだろう。パリ在住のアメリカ人の画家として知られるPetlinが制作した “The Seine Series” (1995-96) は、上述のCelanやEdmond Jabés (1912-91), Primo Levi (1919-87) 等の作品に対する断片的な応答を示す一方で、“figures-which-are-not” (「存在しないものたち」) の影をも宿している。それら有形無形の亡霊的発話者たちの間で起こる対話が、どのようにしてPalmerの作品において増幅されるかという点を、まず明らかにする。そしてそのうえで、対話の果てに召喚される「だれでもないもの」の声が果たす役割をつきとめてみたい。Palmerによる詩篇としては、上述の “The Seine Series” と関係性の深い “The White Notebook” (2000年出版の詩集 The Promises of Glass 所収)およびその他数篇を分析の対象とする予定である。また時間に余裕があれば、PalmerとPetlinが手掛けた詩画集 Songs for Sarah (1987) にも触れてみようと考えている。