1. 2.Flannery O’Connorと冷戦期アメリカ――“Everything That Rises Must Converge”における人種と服飾

2.Flannery O’Connorと冷戦期アメリカ――“Everything That Rises Must Converge”における人種と服飾

堀内 香織 中央大学(非常勤)

 

南部のカトリック作家として知られるFlannery O’Connorの作品における社会文化的要素は、宗教性と対立する概念として理解される傾向が強く、これまで資本主義社会を反映する世俗性は否定の対象と見なされてきた。そのような「聖」と「俗」の二項対立を前提とした議論が多いなかで、オコナーをめぐる文化的批評の幅を広げたJon Lance Baconは、彼女がアメリカ社会への批判として冷戦期の文化を積極的に扱っていると論じる。しかし、ベーコンは最終的に南部性の問題を読み込む結論へと至っており、従来の批評的枠組みを超えているとは言い難い。南部を舞台としながらも、オコナーの小説にはアメリカ全体の社会文化的事情が映し出されているのであり、政治および経済状況をも視野に入れた国家との関係を含めて見直されるべきである。また、オコナーに関する文化的アプローチは、その世俗性を宗教性と切り離して議論する傾向にあるが、オコナー作品の「聖」と「俗」には独創的な相互交渉が見出される。

本発表では、公民権運動を正面から扱った作品“Everything That Rises Must Converge” (1964)における服飾に注目し、作中の人種的対立を冷戦期アメリカの大量消費社会との関連から考察する。オコナーの社会文化的意匠において、服飾は看過できないものでありながらも、その批評的分析は乏しい。白人主人公Julian Chestnyの母親と同じ帽子を黒人女性が身につけてバスに乗車してくることによって、黒人の地位向上を巡る親子間の反目が前景化されており、先行研究では旧南部と新南部の対立に重点が置かれてきた。しかしながら、この帽子が大量生産品である可能性に着目すると、アメリカ国家が冷戦構造のなかで生み出したイデオロギー装置としての消費文化に対する作者の高い関心が浮かび上がってくる。

対ソ連政策として、資本主義経済に基づく生活様式の優越性を強調し、自由と平等の理想を掲げるアメリカにとって、国内の人種差別は深刻な問題であったが、冷戦の文脈からオコナーと人種問題に関する考察は十分になされているとは言えない。体制順応主義へと傾く冷戦期のアメリカ社会において、個人は大量生産品を購買することにより社会への順応性を示し、心理的な安定を獲得した。服飾は個人の社会文化的アイデンティティを確立/偽装するものであり、その人種および階級コードは大量消費社会の出現により変化している。奴隷制度廃止以降、服装を選ぶことは、黒人にとって「自由」を意味する行為であった。1950年代末から大量生産品が流通するにつれて、服飾は人種と階級のヒエラルキーを覆す役割を強めていく。60年代には、白人の間で次第に帽子を被る流行が下火になっていくのに対し、黒人女性にとって帽子は、人種的誇りと宗教的意味合いの両面から重要なものであり続けた。帽子が具現化する世俗性が、聖性と混じり合いながら肯定的に描かれていることを検証し、冷戦期アメリカの人種問題との関わりから、新たなオコナー像を提示していきたい。