1. 3.カーソン・マッカラーズとフィンランド王

3.カーソン・マッカラーズとフィンランド王

三輪 恭子 東邦大学

 

2001年のテロ事件などを経て、近年は、国際関係から見たアメリカについての考察が増加している。それに伴い、従来は、思春期の不安定な若者や社会から阻害された人間の孤独感について論じられることが多かったカーソン・マッカラーズの作品も、彼女が政治に高い関心を寄せていたことを受け、Reflections in a Golden Eye (1941)やThe Member of the Wedding (1946)などの作品に描かれた政治的要素に注目する論文も出てきている。アメリカが第二次世界大戦に参戦する直前、1940年代に書かれたカーソン・マッカラーズの短編 “Madame Zilensky and the King of Finland” (1941)および、その頃に書かれた短編やエッセイを中心に、当時のヨーロッパ情勢に対するマッカラーズの視点について考察することが、狙いである。

“Madame Zilensky”は、曖昧な点の多い作品であるが、それゆえに作品に多層的な意味を求めることを可能としている。「病的な嘘つき」とされるZilenskyは、存在しないフィンランド王を見たことがあるはずはないと問い詰められ、窮地に陥る。しかし、フィンランドにおける内戦を経た1918年、たった1ヶ月だけフィンランド王は存在していた。この歴史的事実に照らして作品を読んでみると、この国の持つ政治的意味合いが、強い現実味を伴ってくる。1939年から40年にかけ、祖国防衛のためにソ連と戦争状態にあったフィンランドが世界中の同情を集めていたことからも、マッカラーズのフィンランドへの言及は無自覚ではなかったと思われる。またドイツとソ連に挟まれていたという点からも、フィンランドはヨーロッパ情勢において見過ごすことのできない位置にあったのである。

歴史の隙間に垣間見ることしかできないフィンランド王は、Zilenskyが想像の世界に逃避していたのか、それとも真実を語っていたのかについての決定を困難にする。世界中を旅してきた “globe-trotter”であり、国の異なる3人の男性とそれぞれに子どもを作り、各国語を混在させて息子らと会話するZilenskyは、自称フィンランド人だが、その国籍は多分に曖昧である。また、彼女の年齢の判定も同様に難しい。物語が作品発表の1941年頃を舞台にしていると想定しても、彼女の関わっていた「戦争」は1918年頃と1939年頃との両方の可能性を残す。あらゆるものが曖昧にされ、そこから生じた混乱により、この作品は複数の戦争に重層的に言及しているとも考えられるのである。

揺らぎに満ちたこの作品の美しさと不思議さを、政治的な問題のみに絡め取ることは、物語の魅力を減じさせることは言うまでもない。作品の力を最大限に尊重しつつ、政治性に着目したい。