1. 1.死者が語る物語――“That Evening Sun”を中心に

1.死者が語る物語――“That Evening Sun”を中心に

島貫香代子 京都大学(院)

 

William Faulknerの複数の作品に繰り返し登場するQuentin Compsonが、“That Evening Sun”(“TES”)の冒頭で24歳の語り手として登場することは、これまで多くの研究者を困惑させてきた。The Sound and the Fury(SF)とAbsalom, Absalom! のQuentinは20歳前後で死亡するため、年齢上の不一致が生じてしまうのである。研究者の中には、それぞれの作品を個別に扱うHans H. Skeiなどもいるが、本発表では、これらの作品群のゆるやかな連関を認める立場を取ると同時に、“TES”の枠物語を語る大人のQuentinが死者であることが、黒人女性Nancyの運命を暗示する重要な手がかりとなることを指摘したい。

“TES”ではNancyの結末が曖昧な形で提示されているため、町を去ったはずの彼女の夫Jesusが戻ってきて彼女を殺すのか(溝に潜んでいるのか)、あるいは殺さないのか(Nancyの妄想なのか)が議論の的になってきた。しかし本発表では、数ある思い出のうち、15年前の“TES”のエピソードを回想するにいたった大人のQuentinに焦点を当てて考えてみたい。それというのも、SF で彼が自殺することに鑑みると、Nancyの結末には、実はもう一つの可能性―彼女の自殺―が垣間見られるからである。“TES”で拘置所の看守が語るように、黒人は概して自殺しないと見なされていたが、拘置所で自殺未遂を起こしたNancyが最終的にこの手段に再び訴えたとしても不思議ではないし、その結末が後に自殺する運命にある当時9歳のQuentinに大きな衝撃を与えたであろうことも想像に難くない。

Nancyの自殺の可能性を考察するにあたり、本発表では、Jesusが潜んでいるとされる、Compson家の屋敷とNancyの小屋を隔てる溝(ditch)に注目する。これは涸れ谷(gully)のようなところだと思われるが、SF には同様の溝に落ちて射殺されたNancy(おそらくCompson家の馬)のエピソードがあり、本発表の文脈では看過できない場所である。さらに本発表では、黒人音楽に度々登場するヨルダン川とこの溝の関連性についても考察する。聖書に由来するヨルダン川は、黒人にとって、隷属状態からの解放(自由の地[北部]に行く)と肉体的な解放(約束の地[天国]に行く)の両方を意味していた。“TES”との関連性が指摘されているブルース曲の“St. Louis Blues”にヨルダン川は登場しないものの、SF のQuentinがチャールズ川で入水自殺することを想起するならば、この溝は、白人世界と黒人世界の境界を体現する以上に示唆的な場所となりえるのではないだろうか。

本発表の後半では、“TES”と同様に(具体的な年齢は不明ながらも)成長したQuentinが子供時代を述懐する構成をもつ“A Justice”と“Lion”についても言及する。最終的には、これらの短編を通して、Quentinの(死者の)語り手としての意義とその限界を再考する。