1. 4.公民権運動とFaulkner

4.公民権運動とFaulkner

田村 理香 法政大学

 

1950年代は公民権運動が本格化していった時代であった。1954年には公立学校における人種隔離を違憲としたブラウン対教育委員会裁判判決が最高裁によって下され、1955年にはローザ・パークスの逮捕をきっかけに「モンゴメリー・バス・ボイコット」運動が展開された。反人種差別運動は盛り上りを見せた。一方で、白人至上主義者たちの反発も大きく、アーカンソー州ではリトルロック事件なども起こった。

多くの反人種差別運動家が、また白人至上主義者たちが意見を述べていた。William Faulknerも人種問題に関する発言を行った一人である。Faulknerは、1949年にノーベル文学賞を受賞し、内外ともに南部の知識人として認められる存在になっていた。Faulknerは、人種隔離に反対の立場を取っていることで人種隔離を続けようとする南部白人たちから反発を受けていたが、早急に人種差別の撤廃を実現させようとする活動家に対して「いまはゆっくり進め、いまは少し待て」と訴えたことで、公民権運動の団体や白人リベラルからも批判を受けるようになった。また、「もし戦わなければならないときが来たら、ミシシッピのために合衆国を相手に戦うだろう。それが通りに出て黒人を撃つようなことだとしても」という発言によって、人種問題に対する姿勢そのものに疑問がもたれることにもなった。さらにFaulknerは、代表的な黒人雑誌Ebony に寄稿したが、“If I were a Negro.”のタイトルが示すように、高みから見下すような姿勢が感じられるこのエッセイは大いに反発を招いた。Faulknerは、白人からも黒人からも、人種差別主義者からも公民権運動家からも理解されることのない、浮いた存在となっていく。

Faulknerはなぜこのような態度を取ったのだろうか。その理由としてしばしば挙げられてきたのは、彼は南部白人男性であり、その限界を超えることができなかったというものである。しかし、Faulknerの発言は、現実の南部とはいささか乖離した場所から行われているように思われる。たとえばFaulknerは「北部人やリベラルは南部のことを知らない」と述べているが、こうした断定は、Faulknerの作品に登場する北部人を想定して行われているかのようである。Absalom, Absalom! のShreveのような人物は、たしかに、南部についての無知をしばしばさらけだしている。また、北部人はFaulknerの作品の中で他者でもある。“A Rose for Emily”のHomer BarronやLight in August のJoanna Burdenは、毒殺されてミイラにされたり、殺害された上、家に火をつけられたりするなど、不幸な目にも遭っている。そして、そのような物語を作り上げたのは、ほかならぬ作者Faulknerである。Faulknerは南部の抱える人種の問題、北部の問題、敗北感といったものを書くことによって体験し、自らの南部を構築した。公民権運動時代の発言もそうした作品の中で構築した南部を念頭に置いて行われたのではないだろうか。