1. 第2室(全学教育棟本館S11講義室)

第2室(全学教育棟本館S11講義室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
竹内 勝徳

1.「詐欺師の紡錘形の体」―― The Confidence-Man: His Masquerade における作家としての信用詐欺師

  大川  淳 : 関西学院大学(非常勤)

2.エイハブと古代ローマのイメージ――Herman MelvilleのMoby-Dickに関する一考察

  西浦 徹 : 明治大学(非常勤)

Trane DeVore

3.The Avenging Dream: Melville’s War on Domesticity in Pierre

  Taras Alexander Sak : 安田女子大学

 

4.セッションなし



大川  淳 関西学院大学(非常勤)

 

本発表では、 The Confidence-Man: His Masqueradeを、その前景化された虚構性に焦点を当て、信用詐欺師に付与された役割を考察する。Clark Davisは「実在するものを虚構として知覚し、利用する虚構の世界」をThe Confidence-Manは提示する、と論じる。The Confidence-Manの現実性を虚構であると認識することは、テクストそのものに対する、読者の不信を引き起こす事態を招く。例えばChristopher Stenは、「タイトルの人物が信用詐欺師ではないことを主張する批評家が、ほとんどいないということは奇妙である」と指摘する。読者は、信用詐欺師と思われる人物が、信用詐欺師であると信用することを求められるが、Stenが言うように、それは「原則」的なものにすぎず、その確証を得ようとしても、テクストの曖昧性によって、読者は煙に巻かれる。

これまでの批評史において、Melvilleと信用詐欺師を同一視する場合、The Confidence-Manを、形骸化したキリスト教社会の価値観と、実利主義に走る資本主義社会を糾弾する風刺小説とみなすものが多くみられる。しかしながら、一方でMelvilleの「偉大な先行作品が、ただ単に捕鯨の記録ではないのと同様に、この作品も風刺小説ではない」とRonald Masonが言及しているように、風刺小説として考察するだけで、読者を煙に巻くThe Confidence-Manのテクストの曖昧性に関する問題をすべて解明できるとは言い切れない。なぜMelvilleは、虚構性を前景化することによって、作品の現実性を歪めたテクストに編み上げたのか、という点が問題となる。

こうした批評史に鑑みて、本発表では、The Confidence-Manを風刺小説としてではなく、実験的小説として分析し、演劇性を前景化するテクスト構造を考察する。次に、作中において乗客の主体を操作する信用詐欺師の詐欺行為が、「紡ぐ」という比喩を通じて描写されていることに注目する。たとえば、信用詐欺師を「蝶」に喩える乗客Pitchが、「羽をはぎ取ってしまえば、詐欺師の紡錘形の体がある」と発言するが、詐欺師の「紡錘形」の体は、テクストを「紡ぐもの」というイメージを喚起させる。こうしたテクスト分析から、虚構性を強調する手法を用いたMelvilleの「書く行為」と、信用詐欺師の詐欺行為にみられる、乗客の主体を虚構化する行為がパラレルであることを分析する。最終的に、信用詐欺師の詐欺行為が、現実を虚構として認識し、利用しつつ、同時にそれを構築する、作家の「書く」という営みに置き換えることができることを明らかにし、信用詐欺師に作家の役割が付与されていることを検証したい。


西浦 徹 明治大学(非常勤)

 

1851年に出版された、Herman MelvilleによるMoby-Dickの41章、「モービー・ディック」において、語り手のイシュメイルは白い鯨、モービー・ディックにまつわる噂と、エイハブの過去に関する情報を整理しながら、モービー・ディックの正体、そしてエイハブの心のうちを推測する。イシュメイルは「エイハブのさらに大きく、さらに暗く、さらに深い部分はわからないままである」と前置きした後で、突然、ローマの遺跡について語り始める。この唐突に出てくる古代ローマのイメージを明らかにしたいという思いが、本発表の動機である。Moby-Dick において、エイハブは実に様々な人物にたとえられ、また、様々な事柄と結び付けられて語られる。もちろん、エイハブの特徴は一つの捉え方に限定されるものではない。本論も、エイハブに与えられた一つの特徴として、エイハブと古代ローマのイメージの結びつきを確認し、その意味を探るものであり、この小説の中で、今まで十分に議論されてきたとは言えない、41章のこの部分を分析し、エイハブ解釈の新しい方向性を切り拓きたい。

Moby-Dick 出版のわずか2年後に発表された短編小説、「書記バートルビー」においても、その舞台となる弁護士事務所にマルクス・トゥルリウス・キケロの胸像が飾られていたり、バートルビーが、カルタゴの廃墟にいるガイウス・マリウスにたとえられたりと、古代ローマに関する言及がいくつか見られる。また、Melvilleは1857年にローマを訪れており、同じ年にアメリカに帰国して、「ローマの彫像」という題で講演を行っている。このようなことから、Melvilleと古代ローマというトピックは非常に重要であり、さらに、今後も十分に研究する余地のある問題だと思われる。本発表では、Moby-Dick の41章における、ローマの遺跡について語られる部分とその前後の分析から始めて、ほかにも、この作品内に表れる古代ローマとエイハブの関係を、テクストを丁寧に読みながら、解明していきたい。それと同時に、「書記バートルビー」など、Melvilleのほかの小説、あるいは「ローマの彫像」などの講演も参考にしながら、議論を進めようと思う。

アメリカ人たちは自分たちの共和国を作る上で、ローマの共和制に影響を受けた。古代ローマがアメリカの理想だったといえるだろう。このことは、「書記バートルビー」において、有能なアメリカ人とされている語り手の弁護士が自分の事務所にキケロの胸像を飾っていることからもうかがい知ることができる。結論として、Moby-Dick においてエイハブと古代ローマが結びつけられているのは、Melvilleが、これを使って近代アメリカの姿を浮き彫りにし、さらに批判するためなのではないかという仮説を提示する。


Taras Alexander Sak 安田女子大学

 

With Pierre; or, The Ambiguities (1852), a gothic tale of incest, betrayal and violent retribution, Herman Melville pushed the conventions of domestic fiction to their absolute limit. But what motivated him to write this type of novel in the first place, returning to land, as it were, after writing a series of sea adventures? This question seems especially germane when we consider the fact that everything Melville had written up to this point had been about escaping the domestic sphere, thereby avoiding precisely this setting. Several scholars maintain that Melville had simply exhausted his own personal experiences, which he had drawn upon extensively for his fiction, while others-most notably Hershel Parker-argue that Melville had sincerely set out to write a domestic melodrama, in order to make a living as a professional author, but something had caused him to greatly miscalculate his chances.

It may prove more productive, however, to build upon the insights of Michael Paul Rogin, who long ago stressed the intentionally provocative nature of this text. As Rogin writes, “George Washington Peck excoriated [Pierre] for nine pages in the American Whig Review [in which he wrote that] Pierre ‘strikes with an impious… hand, at the very foundations of society.’ These foundations, Pierre’s subversion made perfectly clear, lay in the family […] Peck was right to see Pierre as a declaration of war against domesticity” (Subversive Genealogy 160). This idea of Pierre amounting to Melville’s “declaration of war against domesticity” is the starting point of my investigation. In my presentation, I will attempt to trace the manner in which Melville wages this war, following the course of what I term (following Gilles Deleuze) Pierre’s “bachelor machine” and the series of sisters/lovers that attend him in his desperate struggle. For Melville, as for the character Pierre, the stakes were extremely high-for this war against domesticity is one simultaneously against the mother and father, against property and inheritance, and, as Peck was correct to point out, against “the very foundations of society.” Rather than relegating Pierre to the dustbin of failed artistic experiments, perhaps we will better serve both Melville and the “heaven assaulting” spirit of the text if we attempt to retrieve the explosive potential-what Melville calls the “avenging dream”-of this still-shocking work.