1. シンポジアム I (東京支部発題)(3号館3201室)

シンポジアム I (東京支部発題)(3号館3201室)

開始時刻 午後1時30分〜4時30分

初期アメリカ文学とニューヨーク

司会・ 講師
青山学院大学 若林麻希子
歴史小説とニューヨーク―アメリカン・アイデンティティを巡るイマジネーション
講師
立正大学 齊藤  昇
ワシントン・アーヴィングのもたらしたもの―ニューヨークとイギリスにその文学のモチーフを探る
講師
松山大学 辻  祥子
B’hoys & G’hals物語とMelville―19世紀ニューヨークにおける階級と文学の関係
講師
東京理科大学 佐藤 憲一
ウィンスロップ父子と<他者>としてのニューヨーク



本シンポジアムは、植民地時代から南北戦争以前に書かれた初期アメリカ文学を「ニューヨーク」をキーワードに読み解くことによって、ニューイングランドを起点に主流化されてきたアメリカ文学の伝統を相対化し得るような、ニューヨーク起源のアメリカ文学の展開を見取り図として提示しようとする試みである。アメリカ文学におけるニューヨークといえば、詩や演劇(特にミュージカル)の発展に対する貢献はもとより、南北戦争後、リアリズム以降の小説の展開を支え続けた都市として広く認知されているといえるだろう。しかしながら、ニューヨークが、ニューイングランドと並んで、初期アメリカ文学の発達に貢献した地域、すなわち、いまだ未成熟なアメリカ文学が「アメリカらしさ」を模索する上で必要としていた想像力の源泉とも呼ぶべきものを提供していた地域であることの理解は、それ程、確実なものとはなっていないように思われる。

事実、「アメリカン・ルネサンス」という歴史区分を想起してみても、それは地域性を、ある意味、犠牲にすることの上に成り立っているように見えなくもない。Herman MelvilleやWalt Whitmanを、Ralph Waldo Emersonをはじめとするニューイングランドの作家たちと並べることによって、彼らのニューヨークとのつながりが後景に退く向きもあるだろうし、Washington IrvingやJames Fenimore Cooperといったニューヨーク出身の作家たちの文学史的貢献を、図らずも、周辺化させる要因になっていないとも言い切れないであろう。

本シンポジアムは、ニューイングランドを起点とする文学史観を否定するものでは決してあり得ない。本シンポジアムが目指すのは、むしろ、ニューイングランド文学とは異なるニューヨーク文学のあり方や流れを示唆することの方である。そうすることによって、ニューヨークがアメリカ文学の初期発展に重要な役割を担っていた地域であることへの理解をひらくと共に、アメリカ文学の多元的な興りについて思考を深めるきっかけを提供できればと考えている。



若林麻希子

 

ニューヨークとは、いかなるアメリカン・アイデンティティを育む土壌であったのだろうか。このような関心が、近年、アメリカ研究、特にその歴史分野において高まっている。ニューヨークがオランダ植民地ニューネザーランドを起源にもつことは改めて確認するまでもないが、このような出自が広くアメリカ合衆国の興りに与えた影響に関してはようやく体系的な研究が始まったばかりだ。Russell ShortoによるThe Island of the Center of the World(2004)は、オランダによる北米大陸入植に関連する資料の収集および英語翻訳を1974年以来地道に続けてきたNew Netherland Projectの最初の成果として、Edwin G. BurrowsとMike WallaceによるGotham: A History of New York City to 1898 (2000)などの既存のニューヨーク研究を進化させ、かつ“Dutch New York”なるトポスへの扉を開くことに成功した。こうした研究によって、民主主義、個人主義、さらには多元文化主義などのアメリカを特徴づける代表的なイズムの源泉を、Anglo Americaではなく、Dutch New Yorkの寛容主義や商業主義に求める視座も現在構築されつつある。

本発表は、必ずしも、“Dutch New York”とアメリカ合衆国の関係性を直接的に論ずるものではなく、むしろ、ニューヨークが許容する国家イメジャリーの様相を歴史小説の中に辿ることによって、文学研究の立場から、冒頭に掲げた「ニューヨークとは、いかなるアメリカン・アイデンティティを育む土壌であったか?」という命題に取り組むものである。歴史小説は建国期文学を支えた主要ジャンルの一つであるが、ニューヨークを舞台にした作品は意外にも多く、オランダ起源のこの土地が新興国家アメリカの過去を想像/創造する際に格好の材料を提供していたことをうかがわせている。“Dutch New York”に特別の関心を寄せた歴史家ペルソナDiedrich Knickerbockerを創造したWashington Irvingは、その代表的な作家であるが、本発表では、敢えて、ニューヨークの辺境を舞台に混成主体Natty Bumppoを生み出したJames Fenimore CooperのLeather Stocking-Talesを取り上げることによって、アメリカン・アイデンティティに宿る混成性へのイマジネーションをニューヨークとの関連性で論じることを目指す。Letters from an American Farmer (1782)においてCrèvecoeurがイギリス人、スコットランド人、アイルランド人、フランス人、オランダ人などのヨーロッパ系移民の混成主体(“mixture”)としてその人種的アイデンティティを提示したアメリカ人像は、Natty Bumppoにおいて先住民とアングロ・アメリカンの混成性へと変貌を遂げることになるが、このことに何らかのニューヨーク的意義を見出すことが出来ればと考えている。


齊藤  昇

 

ワシントン・アーヴィングの文学活動は極めて多岐にわたる。すなわち、彼はニューヨークの社交界や政界に対する鋭利な諷刺で才気を発揮した後にイギリスに渡り、そこで自然や風俗を平明かつ軽妙な筆致で描き出したり、あるいは独自の神話・伝説の世界を展開するなど、いわばユーモラスな味を持つ随筆家として注目を浴びた。さらにスペインでは紀行文学ばかりでなくA History of the Life and Voyages of Christopher Columbus (4 vols.)などに代表される歴史・伝記文学の分野でも意欲的な文学活動を行なった。そして、アメリカに帰国後は自らの西部旅行の体験や史料に基づくAstoriaなどの開拓史を発表し、晩年はかねてより念願のThe Life of George Washington (5 vols.)の著述に没頭してこれを完成した。このように、アーヴィングが発表した作品はかなりの数に達し、それぞれ発表された時期には多くの読者に歓迎され、また高い評価も得た。ある意味で、アーヴィングは因習や迷信の巣窟ともいうべきアメリカンフォークロアを本格的に取り上げた最初期の文学者であると言えるだろう。また、彼がアメリカ的な短編文学形式の端緒を開き、その確立に寄与した功績についても疑いを入れぬところである。

ところで、冒頭でも触れたようにイギリス時代に執筆したアーヴィング作品には、そこはかとなく神話・伝説的な香りが漂う。その意義性はギリシア神話の価値が本質的にそうであったように、単に神話や伝説の寄せ集めではなく、文学的な構想と表現と美学を備えていたところにあったと思われるし、その取材範囲の広さと正確さが、彼の文学の豊かさや深さを増すことに大いに貢献したものと想像される。アーヴィングによって創り出されたゴシックテイストを湛える神秘、超自然的なアレゴリーなどの伝統的観念が従来のヨーロッパの文化遺産と重い歴史の上で個人と社会との葛藤を通じて自己規定を行いながら、やがてアメリカ・ロマン主義の流れの中で意義深く機能していったと捉えて差し支えないだろう。鳥瞰的な視座から眺め直してみれば、不朽の名作"The Legend of Sleepy Hollow"中の描写はアーヴィング以降のアメリカ文学の主題とも言える異文化衝突であると考えられるし、その意味ではDaniel Hoffmanの解釈通り、登場人物のIchabod CraneとBrom Bonesは、その後も変わることなくお互いをライバル視しているのである。

ここでは、アーヴィングのニューヨークにおける初期文学活動の成果であるSalmagundi、それに続くA History of New York を経て、アメリカ的なユーモアとウィットを盛り込んだ随想や短編、そしてWalter Scottとの邂逅により多くの啓発を受けたと思われる作品群に触れ、さらに踏み込んでイギリス時代やニューヨーク時代の足跡と照らし合わせながらアーヴィング連山に分け入り、そのの魅力と文学的モチーフを検証したいと思う。


辻  祥子

 

アンテベラム期に東部の都市の中でもっとも大きな発展を遂げたニューヨークは、労働者と知識人という二つの階級が、それぞれ独自の文化を持ち対立していた。当時増加の一途をたどる労働者の間では、都市の犯罪や経済格差による悲劇を煽情的に取り上げたセンセーショナル・フィクションが人気を博した。またニューヨークの劇場で上演されるのは、かつては知識人向けのオペラやシェークスピア劇が大半であったが、1830年代後半から労働者向けのメロドラマやミンストレル・ショーがそれに取って代わり、ニューヨークの労働者と知識人の文化的対立は深まっていた。そのことは1849年のアスタープレイス劇場における暴動からも見て取れる。

そこでニューヨークを舞台としたセンセーションナル・フィクションやメロドラマと、ニューヨーク生まれで1847年から50年までマンハッタンに住んでいた作家Herman Melvilleの作品をいくつか取り上げ、双方に描かれる労働者の登場人物を比較したい。

前者で定番なのが、b'hoy、g'halと呼ばれる主にアイルランド系労働者のヒーロー、ヒロインである。代表的な小説としては、George FosterのNew York in Slices (1849)、Ned BuntlineのThe B'hoys of New York (1850)、The G'hals of New York (1850)、George ThompsonのThe Gay Girls of New-York(1853)などがある。また、メロドラマではBenjamin A. BakerのA Glance at New York(1848)が人気を博し、Bowery b'hoyを演じる役者を一目見ようと、劇場には大勢の貧しい観客が詰めかけた。

Melvilleが、こういった労働者向けの作品から強い影響を受け、その様々なモチーフを自作品に取り入れていることは、David S. ReynoldsのBeneath the American Renaissance(1988)の中ですでに指摘されている。Reynoldsによると、Moby-Dick (1851)に登場するニューヨーカーの主人公は、労働者のヒーローb'hoyがモデルになっている。また、Redburn (1850)やWhite Jacket (1850)に描かれる水夫や水兵たちもニューヨークの労働者を彷彿とさせる。Melvilleは、幼いころから父親の破産や死によって貧困生活を余儀なくされ、20歳から5年間、捕鯨船の船員や水兵として働いた。こうした経験から、労働者に対する共感や階級社会に対する反発を心底に宿し、それを作品の随所に反映させていると考えられる。

ところが、上に挙げたMelville作品の主人公は、典型的なb'hoyよりもはるかに複雑な人物で、労働者集団の中に溶け込めない面も持っている。またPierre (1852)では、ニューヨークと思しき都会で若い男女が貧困状態に陥るのだが、彼らの姿も実際の労働者像からは程遠い。

当時、ニューヨークを中心に、独自の国民文学を開花させようとする「若きアメリカ」運動が起こっていた。Melvilleはその運動の担い手として、アメリカにおける民主主義の意味を追究するのだが、もともと裕福な家の出で知識人としての自負もあり、彼の作品は労働者向けのものとは一線を画している。

本発表では、センセーショナル・フィクションやメロドラマに登場する典型的なb'hoy像、g'hal像と、Melvilleの描く人物を比較することで、当時、ニューヨークにおける労働者と知識人との間に生じた社会的緊張関係が文学に与えた影響を考察したいと思う。


佐藤 憲一

 

1664年におけるヨーク公のニューアムステルダム征伐には、ひとりの黒幕がいた。それは、マサチューセッツ植民地初代総督ジョン・ウィンスロップの長子、ジョン・ウィンスロップ・ジュニアである。今日、とりわけ日本国内においては十分に研究されているとはいえないウィンスロップ・ジュニアであるが、彼は17世紀半ばの大西洋世界において、広範な人的ネットワークを形成した知識人として確たる名声を博していた。彼がイングランド国王の特許状をとりつけ、ヨーク公の征伐の仲立ちをすることができたのも、まさにこの人脈によるところが大きい。そもそも、1633年に「希望の家」という名の交易拠点をハートフォードに設け、以後コネチカットバレーの領有権を主張し続けたオランダ人との関係をどうするかということは、ジョン・ウィンスロップ率いる移民したての非分離派ピューリタンにとって喫緊の課題であった。この意味において、ニューヨークの成立は、オランダ人に対するウィンスロップ父子の長年にわたる取り組みの総決算であったといっても過言ではない。

新大陸のオランダ勢力は、非分離派ピューリタンにとって必ずしも単純明快な、即座に征服すべき<他者>であったわけではない。いうまでもなく、そこにはアメリカ・インディアン(以下単に「インディアン」と記す)という別のレベルの<他者>がいた。つまり、彼らにとってのオランダ人は、自分達とは異質なものでありながら、インディアンほどには異質ではない程度の、いわばあやふやな<他者>であった。そうであるからこそ、非分離派ピューリタンは、オランダ人が<他者>であることを、常に確認する必要に迫られた。ジョン・ウィンスロップの『日記』において、オランダ人が、しばしばインディアンとセットで登場し、ときにオランダ人とインディアンの血なまぐさい抗争の顛末が詳細に記述されているのは、このことと決して無関係ではないはずである。

このような文脈でみるなら、1664年におけるニューヨークの成立とそれに至るプロセスは、非分離派ピューリタンにとってのあやふやな<他者>が征服すべき<他者>へと姿を変えてゆくプロセスであったと理解できるのではないか。ならば、ニューアムステルダムは、皮肉にもその他者性が完成した時点でニューヨークという名を与えられ、英国領内に組み込まれた、ということになる。ニューヨークは、はじめから<他者>であったのだ。

非分離派ピューリタン名家の父子は、オランダというあやふやな<他者>といかに対峙するのだろうか。また、最終的にはいかにしてそのあやふやさを消去し、<他者>として領有してゆくのだろうか。発表では、ニューイングランド移民以降に書かれたジョン・ウィンスロップ父子のテクストにおけるオランダおよびオランダ人表象の成り立ちと変遷について明らかにし、非分離派ピューリタンにとってのニューヨーク成立の意義を確認したい。