1. 2.Walter MosleyのDevil in a Blue Dressにおける未解決事件としての人種アイデンティティ

2.Walter MosleyのDevil in a Blue Dressにおける未解決事件としての人種アイデンティティ

平沼 公子 筑波大学(院)

 

Walter Mosleyによるベストセラー、黒人私立探偵Easy Rawlinsシリーズ最初の作品Devil in a Blue Dress(1990)は、黒人であり私立探偵のEzekiel "Easy" Rawlinsを主人公に展開する物語である。本作品は、ハードボイルド探偵小説という従来白人男性のものとされてきた文学ジャンルを使用しつつ、人種混淆やパッシングといったアメリカ黒人文学において重要なテーマを取り扱っている点において、高く評価されている。

後のWatts地区となる第二次世界大戦後のカリフォルニアが舞台となる本作品は、「(白い)ハードボイルドの黒い転用」として考察される場合が多い。白人男性の文学様式を使用し、アメリカ黒人の歴史を語っている作品である、という本作品への評価は正当なものであろう。しかし、Mosleyの物語様式の転用と文学ジャンルの横断に焦点を当てる先行研究の議論は、パッシングというアメリカ黒人文学にとって極めて重要なテーマが、本作品で謎解きの鍵となることを疑わない。Easyの任務は、複数の人物から追われている謎の白人女性Daphne Monet捜索だが、物語の結末でDaphneが白人ではなかったことが明かされると同時に、本作品はパッシングとそれに付随する人種混淆というテーマで整合性がつく物語となるわけだ。

しかしながら、Daphneの人種アイデンティティが物語の整合性をつけるというこの読みは、Devil in a Blue Dressがハードボイルド探偵小説であることを考えると、再検討の余地があるだろう。作中、Daphneの人種について言及するのはEasyの旧友であるMouseただ一人であり、Daphne本人が自らを「黒人である」と述べることはない。また、Easyの一人称で進む語りは、読者に客観的な推理の過程を提示することは出来ず、常に推理の余剰である第二次世界大戦のフラッシュバックや、1940年代後半の経済構造への批判を孕んでいる。更に、本作品はハードボイルド探偵小説であり、探偵は「唯一絶対の真実」には到達できないことを考えると、Daphneのパッシングを唯一絶対の読みとするのは危ういと言えるだろう。

本発表では、Devil in a Blue Dressにおける謎解きは、解決していないのではないか、という視点から、物語の結論をDaphneのパッシング、つまりDaphneが黒人であることによって「ミステリーは解決した」とする従来の解釈に疑問を投げかける。作中において、Daphneのパッシングの「証拠」として読まれてきた部分と、そうした読みと必ずしも合致しないEasyの一人称の語りを比較することにより、Devil in a Blue Dressは未解決事件として浮かび上がる。その上で、Easyの推理の過程と並行して本作品が示唆するのは、私たち自身の推理の過程、つまり私たち自身の批評行為の過程であることを論じる。Devil in a Blue Dressは私たちの謎解きの方法に対するコメンタリーであり、人種混淆とパッシングの歴史(History)/謎(Mystery)を解決するのではなく、むしろその解明できない複雑さ、答えが見つからない困難さを体現するテクストなのである。