1. 第8室(3号館 3102室)

第8室(3号館 3102室)

1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
吉田 恭子

1.The Function of Fragmented Narration in the Illuminatus! Trilogy

  Ian Stuart Garlington : 大阪大学(院)

若島  正

2.Walter MosleyのDevil in a Blue Dressにおける未解決事件としての人種アイデンティティ

  平沼 公子 : 筑波大学(院)

―The Plastic Ageにおけるサウンドスケープ

  大野瀬津子 : 九州工業大学



Ian Stuart Garlington 大阪大学(院)


Epistemological crises, rapidly proliferating conspiracy theories, a pandemic of psychedelic drugs, rampant flights to mysticism, various cultural (mis)appropriations of quantum mechanics, the lasting influence of Joyce, Eliot and Pound. This list could very well come from the table of contents of an introduction to postmodern American culture, yet in this case it will serve as an unsatisfactory list of just some of the themes found in the long-ignored elephant in America’s literary living room, Illuminatus! (1975). While working as editors at Playboy magazine in the late sixties Robert Anton Wilson and Robert Shea wrote Illuminatus! based on a combination of the most spectacular conspiracy theories found in the unpublished submissions to the magazine’s letters column and Wilson’s long correspondence with Kerry Thornley (to whom the book is dedicated)-one of the founders of the joke religion Discordianism and key player in the Garrison investigation of the JFK assassination due to his bizarre string of connections with Lee Harvey Oswald. The plot of the novel loosely centers on the efforts of the Legion of Dynamic Discord in their struggle to prevent the end of the world as the result of an Illuminati plot that began more than thirty thousand years ago in the lost civilization of Atlantis.

In my presentation I will examine how the fragmented writing style and ambiguity in narration become prerequisites for a “sane” approach to discussing conspiracy. Susan Sontag says, “If there is any ‘knowledge’ to be gained through art, it is the experience of the form or style of knowing the subject, rather than a knowledge of the subject itself.” If the subject of Illuminatus! is a plethora of conspiracy theories, the form or style of knowing is one of uncertainty that forces the reader to repeatedly ask questions about who speaks as well as the relationship between these speakers in a universe that appears to melt together through space-time--between death, dreams and hallucinations. Although passages with constantly shifting subjects, narrators and tenses appear consistently throughout the story, they reach a climax in the sections depicting the experience of LSD. Despite the three principles common to both the experience of hallucinogenic drugs and a paranoid belief in conspiracy ([1] a perception that everything happens for a reason, [2] a belief that things are not as they appear, and [3] a sense that everything is connected) I argue that the chaotic and comedic aspects of these passages work to safeguard the reader against a potential for “belief” in any of the competing narratives that define present day reality by providing knowledge of the experience of an entirely agnostic view of reality.

平沼 公子 筑波大学(院)


Walter Mosleyによるベストセラー、黒人私立探偵Easy Rawlinsシリーズ最初の作品Devil in a Blue Dress(1990)は、黒人であり私立探偵のEzekiel "Easy" Rawlinsを主人公に展開する物語である。本作品は、ハードボイルド探偵小説という従来白人男性のものとされてきた文学ジャンルを使用しつつ、人種混淆やパッシングといったアメリカ黒人文学において重要なテーマを取り扱っている点において、高く評価されている。

後のWatts地区となる第二次世界大戦後のカリフォルニアが舞台となる本作品は、「(白い)ハードボイルドの黒い転用」として考察される場合が多い。白人男性の文学様式を使用し、アメリカ黒人の歴史を語っている作品である、という本作品への評価は正当なものであろう。しかし、Mosleyの物語様式の転用と文学ジャンルの横断に焦点を当てる先行研究の議論は、パッシングというアメリカ黒人文学にとって極めて重要なテーマが、本作品で謎解きの鍵となることを疑わない。Easyの任務は、複数の人物から追われている謎の白人女性Daphne Monet捜索だが、物語の結末でDaphneが白人ではなかったことが明かされると同時に、本作品はパッシングとそれに付随する人種混淆というテーマで整合性がつく物語となるわけだ。

しかしながら、Daphneの人種アイデンティティが物語の整合性をつけるというこの読みは、Devil in a Blue Dressがハードボイルド探偵小説であることを考えると、再検討の余地があるだろう。作中、Daphneの人種について言及するのはEasyの旧友であるMouseただ一人であり、Daphne本人が自らを「黒人である」と述べることはない。また、Easyの一人称で進む語りは、読者に客観的な推理の過程を提示することは出来ず、常に推理の余剰である第二次世界大戦のフラッシュバックや、1940年代後半の経済構造への批判を孕んでいる。更に、本作品はハードボイルド探偵小説であり、探偵は「唯一絶対の真実」には到達できないことを考えると、Daphneのパッシングを唯一絶対の読みとするのは危ういと言えるだろう。

本発表では、Devil in a Blue Dressにおける謎解きは、解決していないのではないか、という視点から、物語の結論をDaphneのパッシング、つまりDaphneが黒人であることによって「ミステリーは解決した」とする従来の解釈に疑問を投げかける。作中において、Daphneのパッシングの「証拠」として読まれてきた部分と、そうした読みと必ずしも合致しないEasyの一人称の語りを比較することにより、Devil in a Blue Dressは未解決事件として浮かび上がる。その上で、Easyの推理の過程と並行して本作品が示唆するのは、私たち自身の推理の過程、つまり私たち自身の批評行為の過程であることを論じる。Devil in a Blue Dressは私たちの謎解きの方法に対するコメンタリーであり、人種混淆とパッシングの歴史(History)/謎(Mystery)を解決するのではなく、むしろその解明できない複雑さ、答えが見つからない困難さを体現するテクストなのである。

大野瀬津子 九州工業大学


小説家・批評家で大学教授でもあったPercy MarksによるThe Plastic Age (1924)は、主人公の男子大学生Hughが学部4年間を通じて葛藤する様子を描いた大学小説である。同作は1924年の年間ベストセラーの2位に踊り出、翌年には映画化されるほどの反響を呼んだ。

 The Plastic Ageが執筆された1920年代前半のアメリカ社会では、急速な近代化や移民の増加によって、白人中産階級の男性たちの自信が揺らぎつつあった。さらにホモセクシュアルへの社会不安が広がり、男たちは、異性愛者であることを証明する必要にも迫られていた。かくして男たちが、スポーツや女性とのセックスを通じ、マッチョな男らしさを誇示しようと躍起になったのは周知の通りである。


小説The Plastic Ageに描かれる男子学生のホモソーシャルな共同体では、<男らしいもの>と<センチメンタルなもの>が両立している。アメリカン・フットボールに代表される男らしさ、他方、詩や性的純潔の理想に結晶するセンチメンタリズム。主人公Hughは、対照的なふたつの世界の間を、ただ行き来する。本発表では、そうしたHughの揺れ動きを、当時の大学、ひいてはアメリカ社会を席巻していた男らしさの言説に対するひとつの態度として読み解く。その際注目するのは、音、特に人間の声である。共同性は、音の行き渡る範囲に形成される。この小説でも、たとえばアメフトの大学対抗試合直前の決起集会で歌われる校歌は男らしい世界を、Hughが友人との歩行中に耳にする詩の朗読はセンチメンタルな世界を作っている。音響空間によって演出されるふたつの世界に対し、Hughはどう反応するのか。本発表では、Clara Bow主演の映画版にも言及しつつ、優柔不断な小説版のHughの揺れ動きを、masculinityとsentimentalityの間を往還する聴覚的sensitivityとして提示したい。