1. 第6室(2号館 2102室)

第6室(2号館 2102室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
古賀 哲男

1.『アメリカの没落』におけるエコローグ

  谷岡 知美 : 広島修道大学

2.テーマを持たない詩人はスタイルで持つ?― Wallace Stevensの三大長詩について

  高市 順一郎 : 桜美林大学 (名)

長畑 明利

3.ライフ・スタイル本としてのThe Elements of Style

  三添 篤郎 : 東京外国語大学 (非常勤)

4.翻訳詩の意義と方向性―安斎七之介と小島嶽の仕事

  西原 克政 : 関東学院大学



谷岡 知美 広島修道大学

 

The Fall of America (1972) は、 Allen Ginsberg (1926-97) が書いた6年間の全米の旅を素材とする長編詩である。その副題として、Poems of These States 1965-1971 とあるように、彼が1965年から1971年まで行った、主として車を使った全米の旅を基盤として、時系列に沿って分けられた5部から構成されている。この全米の旅は、伝記作家Michael Schumacher によると、 “an ambitious project designed to update and rethink Whitman’s celebration of America” であった。したがってこの作品は、詩人が目にしたアメリカの風景、大自然の描写をとおして、国家としてのアメリカを強く意識し、祖国を再評価、つまり、あらためて祖国の本来の姿を追及した作品であると解釈できる。

また、このような自然描写を際立たせるように、作品にはヴェトナム戦争に対する反戦の態度も示されている。詩人のヴェトナム戦争への苦悩とアメリカの大自然の情景が、作品において交錯する。美しい自然の描写と、その背後にある、ヴェトナム戦争といった過酷な現実を合わせて描写した詩行には、自然対現実という構造が生み出す強靭な緊張感が生ずる。その緊張感は、作品における自然描写を、単に美しいアメリカの風景として終わらせないエネルギーを内包しているのである。このようなエネルギーを分析するためには、 Ginsbergの当時の自然に対する態度を理解する必要がある。1960年代のアメリカに対する彼の自然観は、「環境」(ecology) について詳細に述べた67年のインタビューで明らかとされる。このインタビューの中で彼は、機械化、物質化した当時のアメリカを嘆き、その環境を熟考する。彼の視線は「エデンの園」 (the Garden of Eden) にまで遡り、本来の原生の環境を重要視する。こうした彼の態度も指し示すように、The Fall of Americaの第四部の表題、 “Ecologues of These States 1969-1971” に用いられる、「エコローグ」(Ecologues) ということばは注目に値する。

本発表の目的は、The Fall of America における「エコローグ」の表象を明らかにすることである。1973年に全米図書賞を獲得したにもかかわらず、この作品が論じられることは多くない。それはひとつには、彼がインド旅行後に本作品を作詩し、仏教的マントラの要素が強く影響しているため難解である点が挙げられるだろう。それにもかかわらず、旅を通して本作品にちりばめられた、アメリカ全土の自然描写は見逃すべきではない。Ginsbergが “AFTER WORDS” において、「歴史叙事詩」(history epic) ということばに言及しているように、当時のアメリカを歴史の文脈において考察しようとしたことは明白である。さらに冒頭の Schumacherの指摘にあるように、 Whitman 等、アメリカ文学の伝統においても本作品は再検討される価値がある。アメリカ60年代の物質主義、ヴェトナム戦争、公民権運動、マスメディアの成長等混沌とした時代背景において、作品に描かれた自然描写に着目し、最終的には詩人の預言的想像力を持って描かれた自然の本質を探り、彼の言う「エコローグ」の意義を検討したい。


高市 順一郎 桜美林大学 (名)


本発表では、Wallace Stevensの最も優れたメジャー作品とされる三大長詩について、それぞれ3分の1の抜粋訳を掲げ、時間のあるだけ、簡潔に作品論を試みてみたい。

  1. 素人詩人の奇抜な発想、素人哲学の独創的原理

    “Notes Toward a Supreme Fiction”「至上の虚構のためのノート」

    ―詩の最高値は「絶対の虚構」「奇抜の諧調」である

    Stevensの詩は、「修辞と音感的風韻の壮麗」があるが「ナンセンス」や「グロテスク」の雑駁が多いとR. Lowellに評され、また、Mathiesenから「想像力がリアリティーにプラスを与える・・・思弁」が巧みであるが「だらしのない繰り返し」や「とりとめのないおしゃべり」が多すぎると難じられた。が、これはハーヴァード大学の創始者の一人だったEmersonのSelf-Reliance, Transcendentalismの独創力、発明性にかかわる美点としての奇想天外、天衣無縫という長所を指し示していた。
     

  2. 言うこと(主題)を持たない詩人はスタイル(修辞)で持つ?

    “The Auroras of Autumn”「秋のオーロラ」

    ―「至高の目と最深の耳」「秘蹟のシラブル」

    Stevensは自分の素人性を脱するためか、ヴィーコ、ヘーゲル、I. A.リチャ―ズ等を取寄せ、1940年代の始めからNecessary Angelに収録される文学論の講演を始め、48年イェール大学で“Effects of Analogy”―「詩は詩人の世界感覚と・・・種々の個別的リアリティー(実在/真実)から構成された超越的アナロジー(類似比喩)である」、同年コロンビア大学で“Imagination as Value”―「想像力は非現実unrealなものを実在的真実realに移しかえる能力である」等の仮説原理を打ち立てた。

    もっと面白い、創作上、重要な仮説が、51年マウント・ホリヨーク大学講演の「言うこと(主題)がない詩人は大抵、自分が言うことのスタイル(修辞)で持っている」とのオクシモーロンの逆説だった。

    こうしてStevensは、大詩人としての地歩を固め、“Uncanny clairvoyance” の視界を見すえ、“Crisis-poem” (破局創造の詩) の磁場を拓いてゆく。
     

  3. Harvard:「Omlyn’s Pump」/ Yale:「秘密クラブ」

    Imaginationは Extraordinaryを志向する, Reality は“Ordinary”と “Commonplace” に依るがよし

    “An Ordinary Evening in New Haven”

    ―「詩は思考の明視性Visibility of Thoughtにある」

    Harold Bloomは「この第二の長詩は<リアリティー>についての考えが途方もなく夥しすぎ、批評家の解釈が齟齬を来し、その極致について疑義が止まず、テクストを読むことがほとんど不可能である」としている。

    我々にも解釈に窮する箇所が幾つかあるが、こういう場合は、Poundが自作の大詩篇『カントー』をConvergent<一点集中>、Coherent<理路整然>を欠く故に「Botch失敗作」であるとしたようにすべき筈である。Stevensはそうせず、代わりに“Reality”を “Ordinary”, “Commonplace” にデフレイションさせることで筋を通そうとした、と思われる。

    中心的なフィギュアとして南方的な空疎な喬木に見える「ユーカリ教授」が名指されているが、これはハーヴァードの有名無実のSantayana教授の威光の前でイェールのThornton WilderやBrooksらをカリカチュアするものかと怪しまれたが、Bloomによれば、“Imagination” と“Reality”を差配する困難の中でHéro Manquéに堕する危殆にあったStevens自身のパロディーと解される。


三添 篤郎 東京外国語大学 (非常勤)

 

William Strunk Jr. と Elwyn Brooks White 共著の The Elements of Style (1959) は、20世紀半ば以降のアカデミック・ライティングにおいて、必読文献にその名を連ね続けてきたばかりでなく、文学研究の立場からも決して見過ごすことのできないテクストである。本書の原本は、著者のひとりコーネル大学英文科教授 Strunk が、 “Omit needless words” などの18の諸規則をシンプルに列挙し、1918年から英文科の学生を中心に配布していた冊子である。戦間期・大戦中は埋もれていたこのテクストは、57年に Strunk の教え子にして、もうひとりの著者 White によって発見され、2年間の編集・増補作業を通じて刊行されるに至った。以上の出版経緯は、 The Elements of Style に特化した初の研究書 Mark Garvey、 Stylized (2009) にも詳しい。本発表は、Garvey の評伝研究が問題視しておらず、また説明できていない、次の問いに挑む。なぜ The Elements of Style は1950年代合衆国において、改めて価値あるテクストとして発見されたのだろうか。

確かに、本マニュアルが大ブレイクした理由を、冷戦期における高等教育の状況から文脈化することは、それほど難しい作業ではない。1944年の GI 法、58年の国防教育法等で、合衆国の高等教育が拡充されるなかで、学術論文の執筆能力育成が、一般教育 (general education) を中心に、強く要請されるようになったからだ。パラグラフ・ライティングの書き方、規範文法の解説、ひいては執筆時の心構えを39個(現行版は43個)のルールで簡潔にまとめあげた本書は、反共主義時代における大学からの期待に時宜を得て適うものである。

しかし、アカデミック・ライティング制度史に The Elements of Style を定位するだけでは、本マニュアルの主要メッセージ「シンプルであれ」が、冷戦期に持ち得た意味作用を充分に解明できたことにはならない。このメッセージ性の意義を解明するには、 The Elements of Style を White が記した他のテクスト群と並置する必要性がある。 New Yorker の専属ライターとして生涯にわたって2190本のエッセイ等を執筆した White は、 “Academic Freedom” (1949) において、大学のキャンパスを「空気が綺麗」で、「言論の自由」が担保された、「民主主義の礼拝堂」と位置づけている。これと同じ筆致で1954年には “A Slight Sound at Evening” と題した Henry David Thoreau の Walden 論を執筆し、装飾のないシンプルな空間にこそ民主主義的な言論空間が生成される可能性を示唆した。この思想を実践するかのように、 The Elements of Style の編集作業に取りかかる直前まで、 White はメイン州ノース・ブルックリンの僻地を居住地として選び、ソローの生活を模倣すらしていたのである。 White にとって、アカデミック・フリーダムに裏打ちされたキャンパスの自立した言論空間と、ノース・ブルックリンの自閉した生活空間は等価であり、両者を支えた思想は民主主義である。 The Elements of Style 刊行前後における、文学領域を包摂するWhite の言論活動を再検討したとき、本テクストを単にアカデミック・ライティング領域のみに適応可能な、文体の書として受け止めることは到底不可能となる。本発表は以上の視座から、 The Elements of Style を、冷戦下において民主主義を実践するためのライフ・スタイル本として多面的に解釈し、そこに本書が戦後合衆国を席巻することを可能とした文化論理を見出す。


西原 克政 関東学院大学

 

外国文学の中でも、詩を研究してみたいと気まぐれにでも考えたりすることが起こりうるのは、一部の例外を除いて、母語による翻訳を通してではないだろうか。どう考えてみても、外国文学との出会いは翻訳というものを媒介にして成立しているのが普通だからである。そこでは、読者には原詩は目に見えない影として寄り添っているか、存在していないという見方もありうる。

アメリカ詩の翻訳ということを漠然と考えてみても、本家本元のイギリス詩の翻訳と比べても、際立つような目覚ましい果実が収穫できたとは言いにくい気がする。いやいや、日夏耿之介のPoeの翻訳があるではないかという反論もあるかもしれない。しかし、日夏耿之介にはWildeの詩の翻訳もあり、必ずしもアメリカ詩に限定できない。そして同時に、Poeは最もアメリカ人らしくない詩人であったのも、日夏耿之介の漢籍の教養が溢れた日本語にうまくなじんだと言えるかもしれない。そして総体的に、詩の翻訳の良し悪しは、個人的な言葉の感覚に左右されるため、価値基準の判断が難しいことが、議論の的にもなりにくいので、研究の対象にもならないという実情があるのだろう。

そのような流れの中で、ほとんど忘れ去られている、英文学者に安斎七之介がいる。教養書の一冊として、あるいは英詩の愛好者に向けて1967年に刊行された『英詩とその鑑賞』(篠崎書林)という小ぶりな本がある。58篇の英米の詩が載っているが、一番作品の多く収録されているKeatsとDickinsonとE. A. Robinsonがそれぞれ7篇づつというのも、非常に個人的な好みが前面に打ち出されている。ほとんど日本で研究対象にされないE. A. Robinsonを、安斎七之介はことのほか愛好していた。彼の翻訳したE. A. Robinsonの詩とDickinsonの詩を眺めながら、彼が詩の翻訳に注ぎたかったことを、推察してみたいと思っている。

もうひとりの人物は、日本文学を海外に向けて紹介する仕事に身を捧げた、小島嶽がいる。彼は、芥川龍之介の短編の英訳に最も早くから取り組んだパイオニア的な存在であった。現在、この方面で最も目覚ましい活躍をしているのは、ニューヨーク在住でアメリカの市民権もすでに獲得したらしい、佐藤紘彰が著名である。その先駆者として、小島嶽がいるのだが、彼の名を知っている日本の文学者あるいは評論家は、はたしてどのくらいいるのだろうか。この小島嶽は、万葉集から選んだ五百の秀歌を英訳したものが、1995年に出版された。彼の晩年の最も重要な仕事として、彼の死後にまとめられたものである。

先達の業績を振り返りながら、外国文学の詩の翻訳の意義を再確認しつつ、これからの方向性を模索してみたい。