1. カナダらしさを描く―アメリカの影響からの脱却

カナダらしさを描く―アメリカの影響からの脱却

明治学院大学佐藤 アヤ子

 

「アメリカの隣に暮らすことは、象の隣に寝ているようなもの。この動物がどんなに友好的で冷静でも、ほんのちょっと動いたり鼻を鳴らしても、隣に寝ている人は影響を受けるのです」。こう語ったのは、1968年に首相の座に就いたPierre Elliott Trudeau。トルドーは、カナダ第一主義を掲げ、反米主義的な文化的・経済的ナショナリズム政策を実行した首相として知られている。

1960年代のカナダは、アメリカ系多国籍企業によるカナダの経済的、文化的領域への侵攻に対して、攻撃的な姿勢をとる若きカナダ人グループが勢力を得てきた時代でもあった。さらに、1967年の建国百周年を機に、カナダではナショナリズムの気運が高まり、旧宗主国イギリスの亜流でなく、隣の大国アメリカの「弟」芸術とみなされることのない独自の「カナダ的」な作品をカナダの芸術家たちは求め始めた。本発表では、このような時代思潮に鑑みながらカナダ演劇とカナダ小説が描き出した〈カナダらしさ〉を検証したい。

カナダ演劇界を一変させるような戯曲が1967年に初演された。George Rygaの傑作The Ecstasy of Rita Joeである。自らの民族の古い生活についていけず、また先住民にとっては決して居心地のよくない白人社会にも適応できず、社会の底辺に脱落していくカナダ先住民の悲哀を描いたドラマである。精神的に植民地状態にあるカナダ社会にとって、カナダの劇作家による、カナダに材を求めた〈カナダ原産〉の戯曲の成功は、カナダ演劇界が外国作品の輸入物だけに頼る必要がないことを証明した。さらに、公的資金援助によってカナダ演劇界にも発展のチャンスが広まり、トロントのタラゴン・シアターのようなカナダ独自の演劇を育成しようという劇場も誕生することになる。

Margaret Atwoodは、カナダ文学批評のカノンとも言える、Survival: A Thematic Guide to Canadian Literature(1972)で、カナダ文学には脈々と続く独自のアイデンティティというべきテーマがあることを確認してみせた。それは、「生き残ること」。しかし、モザイク化が進む現代のカナダ文学界にあって、〈カナダらしさ〉を見つけることは難しくなっているが、この「生き残り」のテーマが健在であることを、アトウッドの最近作〈MaddAddam〉三部作が明確に示している。

2013年、82歳でノーベル文学賞を受賞したAlice Munroもまた、〈カナダらしさ〉を演出してきた作家と言えよう。魅力的な仕事も華やかな生活もない閉鎖的な故郷のオンタリオ州南西部のヒューロン郡を舞台に、鋭い観察力と洞察力を生かして人々の心の機微を描いてきた。マンローは多くの作品を『ニューヨーカー』に発表してきた。しかし、カナダ的状況を極めて強く描写したマンロー作品は祖国カナダで歓迎され、注目を浴びる結果となった。「物語を書くことしか能力がなかった」と語るマンローにとって、書くことは「生き残る」手段でもあった。