1. Chelsea Hotel No. 2―歌手の歌手レナード・コーエンと場所

Chelsea Hotel No. 2―歌手の歌手レナード・コーエンと場所

北海道大学(名)野坂 政司

 

レナード・コーエン(1934- )は、まず詩人、小説家として認知されたのであるが、1970年代から80年代にかけて歌手として次第に知られていき、80年代後半にはスター歌手として広く大衆に受容されることになる。モントリオールに生まれ、カナダで成長するが、1955年にマギル大学を卒業して、ニューヨークに行き、コロンビア大学に通う。その後、59年にロンドンへ、60年にギリシャのイドラ島へ、モントリオールに一時戻り、61年にキューバへ、それからアメリカ、ヨーロッパ、カナダ、ギリシャと移動しながら、歌手として活動の枠を広げ、世界ツアーを繰り返しながら、現在に至る。

Web サイトThe Leonard Cohen Filesによれば、コーエンの歌のカバーバージョンが世界中で2,700以上あるという(http://leonardcohenfiles.com)。このことは、世界中の歌手たちにコーエンがいかに深く広く受容されているかを端的に示している。巨大な世界市場を持つ音楽産業の現場では、メディアを横断する複合的な広報宣伝力が駆使されており、その周辺にいるファンたちもネットワーク上で大量の情報を流通させており、カバーバージョンを制作した他の歌手たちのコーエンに対する高い評価があることなどが重なり合って、コーエンの歌手としての魅力はカナダという地域性を越えている。

コーエンの詩、小説、詞には、いろいろな角度から考察を加えることが可能であるが、ここでは、彼のChelsea Hotel No. 2を取り上げて、その詞の主題であるジャニス・ジョプリンとの出合い、それが生じた場であるニューヨークの伝説的なホテルへの想いなどを、コーエンの小説『嘆きの壁』の含意を方位学的研究における西部の文学の具体的な事例として繰り返し言及したレスリー・A・フィードラー『消えゆくアメリカ人の帰還?アメリカ文学の原型III ?』を参照しながら、考察してみたい。フィードラーは、コーエンとキージーとにおいて、「初めて狂気と『西部』との究極的な一致が完成し…」と指摘しているが、コーエンのチェルシー・ホテルとは、フィードラーが『嘆きの壁』に見た「西部」が象徴的に具体化された「場所」であると考えてみたい。そして、コーエンの詩(詞)を読み解くために、「場所」がどのような視角を提示することになるかを考えてみたい。