1. ワークショップ(2号館1階11番教室)

ワークショップ(2号館1階11番教室)

開始時刻 午前11時55分〜午後1時15分

T.衣装と意匠のフォークロアー20世紀アフリカ系アメリカ人の諸相(多民族研究学会)

責任者・司会・ 発表者
長野県看護大学 西垣内 磨留美
発表者
国士舘大学 松本  昇
発表者
日本女子大学 馬場  聡
発表者
愛知大学 川村 亜樹



洋の東西を問わず、衣装と意匠は時代を映す鏡であり続けた。それらは、民族という集団として捉えても、自らを顕現する表象であり、同時に、自らを隠す、いわば仮面の役割も果たしてきた。また時にそれらは、特定の人が特定の人に伝える暗号としての道具にもなりうる。本ワークショップでは、様々な記号として機能する衣装と意匠について、20世紀のアフリカ系アメリカ人の諸相に焦点を絞り検証していくことにする。

「Zora Neale Hurstonとかぶりもの」では、西垣内が、作家の出身地で開催されるZora Neale Hurston Festival of the Arts & Humanitiesの行事の一つHATitudeを紹介しつつ、作品における表象にも触れ、Hurstonのかぶりものの意味について検討する。HATitudeは、極めて端的に言うと、帽子のコンテストなのだが、主催者によれば、Hurstonを象徴し、アフリカ系の女性の文化を伝える楽しい企画として、フェスティバルに加えられた。かぶりものが、なぜ、Hurstonの象徴になりうるのだろうか。Hurston自身の嗜好や個性と結びつくこと、代表作Their Eyes Were Watching Godで特別なものとして扱われていること、民族衣装の一部として、Hurstonが追究した民族の文化、歴史を表象するものであることなどが理由として考えられるだろう。本発表では、行事の紹介に絡め、この3点について考えていく。

「ズート服―Malcolm XとRalph Ellisonの場合」では、松本が、1940年代初期に流行した、だぶだぶの背広にだぶだぶのズボンというズート服について、若きMalcolmXと、Invisible Man (1852)の作者Ralph Ellisonの場合を取り上げながら、考察する。Malcolm Xにとって、ズート服はアメリカ社会の最下層でアイデンティティを誇示するための道具であると同時に、社会に対する反逆を象徴するものであった。一方、Invisible Manの主人公には、ズート服を着た黒人が自由を満喫する人として映る。またSweet Home(1993)の著者Charles Scruggsが指摘するように、EllisonはInvisible Manで、ズート服を、「予想できない変化に対する社会の可能性や、おそらくは人を欺くような複雑な歴史の肯定を象徴するもの」とした。ズート服を颯爽と着こなした若きMalcolmXのズート服観とEllisonのズート服観の相違を、時代と生き方を踏まえて考えてみたい。

「<革命>をディザインする」では、馬場が1960年代合衆国のアクティヴィズムにみられる政治的/社会的ステートメントとしてのファッションについて論じる。Amiri Baraka、Angela Davis、Alice Walker、Charles Wrightらのテクストや、公民権運動の機関誌、映画などを参照しながら、ケンテ布から作られた衣装であるダシーキや、コンク(縮れ毛を薬剤でストレートにした髪型)からアフロに至るヘア・スタイルの変化にみられるアフリカニズム、そしてブラック・パンサー党のユニフォーム(黒皮のジャケット、黒いベレー帽)におけるミリタリズムの発露などについて考えたい。

「フリースタイルを演出する場としてのヒップホップ・ファッション」では川村が、ヒップホップ・ファッションの政治性を探る。Alan Light編The Vibe History of Hip Hop(1999)には、21世紀への世紀転換期に、ヒップホップが高級ファッションブランドに大きな影響を与えた経緯が記されている。その一方で、Tom WolfeのA Man in Full(1998)などの小説では、そのスタイルは若者の堕落の象徴として描かれている。しかし、S. Craig WatkinsがHip Hop Matters(2005)で紹介している、当時人気となったブランドFUBUをめぐるエピソードや、Damion ScottとKris Exのグラフィック・ノベルHow to Draw Hip-Hop(2006)の服装に関する章などを見てみると、高級ブランドに回収されない、また、堕落とも言い難い精神性が垣間見える。そこでフリースタイルをキーワードとして、ヒップホップ・ファッションの政治性を探ってみたい。