1. 1.Don DeLillo文学における対話のデザイン―その逆説性と創造性

1.Don DeLillo文学における対話のデザイン―その逆説性と創造性

大阪大学(院)平川  和

 

Don DeLilloの作品における登場人物たちの対話に耳を傾けたとき、読者は奇妙な感覚を覚えるはずである。DeLilloの登場人物たちの対話は人工的で現実味がなく、彼らは通常の対話をしているようには思えない。聞き手を目の前にしながら独白しているかのようで、彼らの対話は必ずしも噛み合っているようには聞こえないのである。しかしながら、この脱文脈的な対話が登場人物たちの精神に何らかの影響を与え、物語の大きな推進力となっているのもまた事実である。噛み合わない対話こそが、逆説的にプロットを展開させ、創造的に物語の深化をもたらす。これがDeLillo文学の大きな特徴の一つと言える。

DeLillo文学における対話のデザインをあえて一般化するならば、次のようなことが言えるだろう。(1)常に差延を生じさせつつ、対話が繰り返される。(2)そのような対話が蓄積されクライマックスに達したとき、「肉体性の表出」、「内破的状況」、ひいては「他者との混交」という状況が提示される。具体例としてWhite Noise(1985)を挙げてみよう。主人公Jackと妻Babetteは、死の恐怖を除去するという触れ込みの秘薬ダイラーの服用をめぐって夫婦関係に溝ができていた。二人は腹蔵なく対話することでその溝を埋め、秘密を共有するに至るのだが、今度はJackと娘Deniseの親子関係に溝ができ、事態は予想外の展開を見せる。すなわち、対話はある問題を解決する一方で、別の次元でさらなる問題を惹起し、そこにまた新たな対話の余地が生じる。このように差延を帯びつつ対話の可能性が繰り延べされた挙句、クライマックスでJackはホワイト・ノイズの権化とも言うべきMinkとの対話へ臨む。最終的に二人は銃の撃ち合いにより、「痛み」という「肉体的感覚」を介した対話を実践し(肉体性の表出)、Jackは「世界が内向きに崩れる」のを感じる(内破的状況)。その結果、JackとMinkの血が混ざり合い、「自己」と「他者」の境界は非常に曖昧になる(他者との混交)。

The Dialogic ImaginationにおいてMikhail Bakhtinは、“The development of the novel is a function of the deepening of dialogic essence, its increased scope and greater precision. Fewer and fewer neutral, hard elements (“rock bottom truths”) remain that are not drawn into dialogue. Dialogue moves into the deepest molecular and, ultimately, subatomic levels”と論じている。つまり、対話の深化により物事を極小レベルまで噛み砕き、その内奥へとさらに分け入ることで絶対的真理なるもの(“rock bottom truths”)を脱構築できるのである。この洞察は、DeLillo文学における対話の内破性を論じようとするとき、有効な導きの糸となる。主要作品において彼は、(1)、(2)のような対話の意匠を通して、ハイパーリアリティ、テロリズム、冷戦、サイバー資本主義などにおける絶対的(と思われている)言説の内部へ入り込み、それらを内側から切り崩すことで、アメリカ社会の実相を創造的に炙り出すことに成功している。DeLillo批評においては、David Cowartなどにより「言語」という観点からの研究はなされているものの、「対話」という観点からの具体的なアプローチはまだそれほどなされていない。本発表では、Bakhtinを援用しつつ、White Noise、Libra(1988)、Mao U(1991)、Underworld(1997)、Cosmopolis(2003)などの後期DeLillo作品における対話のデザインを探究していきたい。